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日本刀鑑定証については    
日本美術刀剣保存協会 特重(特別重要刀剣)、重(重要刀剣)、特(特別保存刀剣)、保(保存刀剣)、
甲(甲種特別貴重刀剣)、丸(特別貴重刀剣)、貴(貴重刀剣
その他の鑑定 会(日本刀剣保存会)、藤(藤代松雄)、柴(柴田光男)、店(当店の保証)
質については ☆(特優品)、◎(優品)、○(標準品)、△(やや程度不良品)、希(希望銘)
付属品 白(白鞘)、拵(拵え)
※表示の価格は全て税込です。
No. 種別 銘文 時代 長さ(cm) 反り 元重 解説 証書 付属 価格

軍陣刀(無銘現代刀)
現代 64.8 1.8 0.67 長さ2尺1寸3分
本刀は今次世界大戦の為に作られた武勲の軍刀です。昭和20年まで日本には誉れ高い武士が居たことの証です。軍人は武士の覚悟の証として刀を近代的に軍刀拵えにして戦地に出陣しました。このような歴史を持つのは日本だけで。鎌倉から続く武家の誇りの証です。日本軍が強かったのは武士の誇りを持っていたからなのです。本刀は地金が良く詰み、刃紋は直刃をきりりと焼き末備前の古刀の上作の様な刃を焼いています。生出しの為に、特別に格安にて御提供いたします。日本の歴史を飾る軍陣刀を是非大切にして下さい。
拵え 売約御礼

関住星谷義永(孫六兼元写)
現代 60.4 1.6 0.71 長さ2尺
義永刀匠も戦後復活しなかった為に、刀工としての作品が少なく、本刀は義永刀匠にとっては大変貴重な刀です。本刀は第二次世界大戦の時に日本の為に命を懸けて国を守った陸軍軍人の将校の為に作られた貴重な軍陣刀です。姿は優美な刀姿を現し、地金は無地風となり、刃紋は最上大業物で名高い関の孫六兼元を写した三本杉の刃を見事に焼き上げています。拵えも当時のままの拵えがやや痛みも有りますがそれも御愛嬌です。刀は良く切れますので充分に役に立ちます。軍陣刀は後世に歴史として大切に伝えていかなければいけません。今回世の中に初めて生で出たために格安にて御提供いたします。お楽しみ下さいませ。
拵え 売約御礼
脇差
伝兼房(若狭守氏房)(業物)
室町
末期
53.2 1.2 0.69 長さ1尺7寸5分
兼房5代目弘治2年長兄石見守国房より惣領職を譲られ善定嫡家を継ぎ、永禄13年(1570年)(445年前)若狭守を受領してほどなく氏房と改めました。本脇差は元幅と先幅の差がややあり、反りのある優美な脇差姿を現し、地金は板目に柾肌を交え元に虎鉄のてこ鉄と同じ大肌がりますが見所の一つです。刃紋は兼房乱れと言われ古来有名な匂い出来のタコの頭の様な頭が丸い刃や矢筈乱れ刃を交え見事に焼き上げ、兼房の代表的な見事な脇差です。今回初めて世に出たために研ぎも新しくかけ、そして特別に格安でご提供です。標本的な兼房乱れの刃のもの少なく大変貴重な見事な関の兼房であろう脇差をお楽しみ下さいませ。
白鞘 売約御礼
脇差 濃州住兼友(三阿弥派) 室町
末期
53.4 1.2 0.7 兼友は志津三郎兼氏の子が元々の発祥の元で、代々続きます。本脇差の兼友は永禄1558年頃の美濃の刀工。本脇差は鎬造の豪壮な姿平造でしっかりとしている。地金は板目肌に柾目肌が交じり、刃紋は互の目に尖り刃を規則正しく焼き大変覇気有る刃を焼いています。帽子も乱れ込良く出来ています。刷き表に鍛え肌大きくありますが、これも御愛嬌。兼友の一門で福島正則に仕え尾州清州に移住した兼友が後に梅忠明寿の弟子になり肥後守を受領して肥後守輝廣と改めて後福島正則に従って芸州広島に移住しています。 白鞘 売約御礼
脇差 伝宇多国房 守茂□□ 室町
後期
44.2 1.4 0.62 本脇差は古入道国光の子と言われ、多くの刀工は本国大和で文保頃(1317年)鎌倉時代末期に移住。代々続きます。本脇差は時代は応仁頃と古く、地金は板目に柾が流れ、地にえつき刃紋は互の目を見事に焼き上げ刃中すばらしく働きがあり金筋が多く入り素晴らしく覇気があります。特に宇多の刀の特徴は柾目肌が顕著に表れ刃中の働きが素晴らしいのが特徴です。本刀は北国地金の黒ずんだところが無く非常に垢抜けた脇差です。お楽しみ下さい。守茂□□は所持銘でしょうか、不明です。 白鞘 売約御礼
脇差 備州長船祐定 室町
末期
44.7 0.9 0.71 備州長船祐定は名刀の代名詞として余りにも有名です。本脇差は製作年代が有りませんが、永禄(1558年頃)の作でしょう。本刀は姿優美な姿で末備前の独特の大変良い脇差姿で、大変健全な刀です。地金は板目肌良く詰み備前独特の潤いのある地金で明るく地金を鍛え、刃紋はのたれ乱れ刃を象徴的に焼きあげ、素晴らしく覇気ある刃をむら無く焼き上げています。おたのしみください。 白鞘 売約御礼
短刀 友次(宇多友次) 室町
末期
24.5 0.1 0.62 本短刀は室町末期の国不明となっておりますが、姿は来国俊を写した名短刀です。地金は小板目肌良く詰み、柾目肌流れ、映りが見事に立ち時代が大変古く見えます。柾目肌が流れるところが有るので越中宇多の短刀と考えられますが、刃中に金筋を現すところから、もっと時代の上がる上工加賀の友次の作かとも思われます。ともあれ大変出来の良い友次の短刀です。ロマンを持ってお持ちくださいませ。 白鞘 売約御礼
海軍軍刀(耐錆性刀身) 現代 65.4 1.2   刀の大敵は錆びることですが、戦地に出ると錆を防ぐことは大変な事でした。日本軍は、陸軍、海軍、合同で、耐錆性に優れた刀の製作の研究に没頭しておりました。その結果本刀の様な錆びない金属の開発に成功して、錆の少ない刀の製作に成功しましたが、現在残っているものはほとんどなく、本刀は現存すこぶる少ない海軍軍刀拵えに入った貴重な刀です。時代に貢献した海軍軍刀をお楽しみ下さいませ。 拵え 売約御礼
脇差 伝手掻包永(薙刀直脇差) 室町
末期
39.6 1 0.72 本脇差は室町期の大永1521年頃よりももっと古く作られたかもしれませんが、薙刀を後世に脇差に直したものです。地金は板目肌に柾肌を交え地景が現れ、刃紋は乱れ刃に金筋、砂流しが現れ、立てに素晴らしく良く働き、地金と刃紋の働きが見事に現れた素晴らしい薙刀直しの脇差です。素晴らしい薙刀の為に、後世わざわざ脇差に直してでも、武士の魂として、身の近くに於いておきたかったのでしょう。貴重な時代の古い、後代手掻であろう脇差をお楽しみ下さい。 拵え 売約御礼
脇差 備州長船祐(定) 室町
末期
50 1.2 0.73 備州長船祐定は名刀の代名詞として余りにも有名です。本脇差は製作年代が有りませんが、永禄(1558年頃)の作でしょう。本刀は姿優美な姿で末備前の独特の大変良い脇差姿で、大変健全な脇差です。地金は板目肌良く詰み備前独特の潤いのある地金で明るく地金を鍛え、刃紋は互の目のたれ乱れ刃を明るく象徴的に焼きあげ、素晴らしく覇気ある刃を焼き上げています。鞘がまた素晴らしい現代では出来ない篠鞘と言う縦に刻みを刻んだ大変上品な名工しかできない鞘が本脇差に一層華を添えています。篠鞘の付いた大変貴重な脇差をおたのしみください。 拵え 売約御礼
短刀 国重(宇多) 室町
末期
21.6 0 0.97 永禄頃越中の宇多の短刀です。姿は鎧通の重ねの厚い頑丈な姿。地金は板目肌に柾目肌交じり、地に白気映りが現われ、地金良く詰み、刃紋は直刃を上手に焼き覇気が有ります。この様な短刀は古来備前物が殆どで、後は美濃物に見られ、宇多では大変少なく国重刀匠は素晴らしく腕の立つ名工だったことがこの1口で証明されます。彫も表に梵字裏に蓮華に二筋樋を上手に彫っています。北国の刀は寒さのために折れる事に一番気をつかい製作されています。非常に粘り気ある地金を作り出しております。このような短刀を鑑定刀に出されたならば、備前長船与三左衛門祐定の札が多く入る事でしょう。宇多国重の短刀を大いにお楽しみくださいませ。 白鞘 売約御礼
濃州住村山兼重(孫六兼元写) 現代 64.9 1.4 0.8 (孫六兼元写)
本名村山重明。陸軍受命刀工。本刀は兼重58才頃の力作です。本刀は地金小板目肌よく詰み、刃紋は関の孫六兼元写しの三本杉見事に焼き上げ、刃中素晴らしく明るく良く出来ています。世上げて満州事変から支那事変そして第二次世界大戦と日本が突き進む時代に、古来日本武士道発揮の為に将校には日本刀を帯びて戦地に立ち向かいました。武勲の刀を大切にしましょう。
拵え 売約御礼
河内守藤原國助(希望銘) 江戸
初期
69.5 2.4 0.73 生まれは三重県伊勢亀山で、山城の堀川国廣の門に入り後、和泉守国貞とともに大坂に移住、大坂新刀の基となる。本刀は板目肌大きく現れ、地にえがついた地金で刃紋は備前長船祐定を狙った、互の目丁子刃をむら無く焼き上げた刀ですが、残念ながら良く出来ていますが、あくまでも希望銘です。鍛えのえくぼも有りますがこれも鍛えた証拠、御愛嬌でしょう。如何にも物切れする刀です。お楽しみ下さい。 拵え 売約御礼
短刀 森宗(越前千代鶴) 室町
末期
22. 0 1.03 千代鶴の祖千代鶴国安は山城来国安が移住したものと言われています。千代鶴は古来御目出度いものとして贈答用に多く利用られました。本短刀も山城来の短刀に見える永正頃(500年前)の森宗の名短刀です。地金板目肌よく詰み、刃紋来の様な直刃を見事に焼き上げています。本阿弥光瞭極札が本短刀に一段と価値を上げています。江戸中期の鉄金具一式拵えも本短刀を一段と華を添えています。御目出度い千代鶴森宗の短刀をお楽しみ下さいませ。 拵え 売約御礼
脇差 肥前国住忠廣(希望銘) 不明 34.4 0.6 0.52 近江大掾忠廣は肥前国忠吉の嫡男で寛永十八年七月に近江大掾を受領。しかしながら本脇差は荒研の為に全て判りません。銘も希望銘です。お役にたつことがあれば役立ててください。鉄地一作金具の拵えが付いています。研ぎの練習にでもお使いください。 売約御礼
脇差 不明(脇差) 不明 43.6 1.2 0.53 荒研の為に良く判りません。長年旧家の蔵に眠っていたためにこのような刀身で良く様子が判りません。何か研ぎの練習とかでお役にたたれるようでありますれば役立ててください。拵えも幕末のままの拵えが付いています。鞘はその当時金よりも高い青貝微塵塗りの漆が塗られ中身もきっと良い脇差が入っていたものでしょう。お楽しみ下さい。 売約御礼
清次(陸軍下士官軍刀拵付) 現代 65.5 1.7 0.78 山口県萩の刀工。本刀は陸軍下士官軍刀拵が現在となっては大変貴重な拵えとなっています。将校用は多く作られましたが、下士官用は製作本数大変少なく、現存作品も少ないために現在軍刀コレクターの中で大変人気の軍刀です。刀身は清次刀匠が陸軍軍刀の基本に忠実に作り上げております。貴重な軍刀をお楽しみください。 売約御礼
脇差 伝秋廣(相州秋廣) 南北

中期
38.9 1.1 0.63 本脇差は平造、元先の幅の差が無い延文貞治型の姿をし、地金は小板目肌よく詰み、刃紋はのたれ乱れ、ちじに乱れあたかも相州正宗の刃紋を見るがごとくの素晴らしい覇気有る刃を焼いています。秋廣は相州廣光の子または弟子と言われる相州伝完成期の代表刀工です。相州伝の金筋も見事にかかり、将来の出世が楽しみな名脇差です。お楽しみくださいませ。 売約御礼
短刀 伝関兼常 室町
末期
25.6 0 0.69 元亀1570年頃の美濃関兼常と見える戦国時代に大いに活躍した、所謂鎧通しと言われる短刀です。姿は定寸の8寸5分あり、上品な姿で、地金は板目肌良く鍛えられて、強い地金を現わし、刃紋はのたれ刃に所々二重刃かかり、大和伝の影響を大いに受けた刀工の作です。室町時代は短刀の製作が特に多く戦国時代の激戦の跡がしのばれます。一点江戸時代になりますと短刀の製作急に少なくなります。室町戦国時代の武勲の短刀をお楽しみくださいませ。 売約御礼
脇差 忠吉(柄なし・希望銘) 江戸
初期
36.4 0.8 0.58 本脇差は江戸初期慶長時代の脇差です。お愛想に忠吉の銘が入っていますが、銘が無ければ山城伊賀守金道の系統の脇差です。姿は身幅広く切っ先の延びた慶長新刀姿で地金は板目肌よく詰み、刃紋は大互の目刃を元から先までむらなく焼き上げて、非凡な腕を見せています。本来の銘が残されていれば素晴らしい脇差です。元々柄が無く身鞘のみですがお安くお楽しみになるには大変良い脇差です。お楽しみ下さいませ。 希望 売約御礼
手槍 江戸
中期
      本手槍は刃が抜けないために、誰が作ったかわかりませんが、大変手間のかかった手槍です。柄には螺鈿細工を施して大変綺麗な槍となっています。この度数寄者様よりご提供されましたので、お好きな方に格安でご提供いたします。 売約御礼
脇差 国時代不明 不明 36.6 1 0.56 本脇差は残念ながら時代や国や作者がわかりません。研ぎや刀の工作の勉強にお役立てください。 売約御礼
脇差 伝越前国長船住祐定 不明 59 1.3 0.72 本刀は生無銘の備前国長船住祐定の刀です。姿は元に踏ん張りが有り、腰で優雅に反る腰反りの姿が優美です。地金は板目肌でやや粗く、備前の映りが現れ、刃紋は大変覇気の有る腰の開いた互の目丁子刃が素晴らしく刃中明るく焼かれ、時代の経過で地刃に鍛え肌が大きく出ていますが、備前の名刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
短刀 月山 室町
中期
17 0 0.64 日本刀の草早期から始まる刀の1本として奥州月山は余りにも有名です。本短刀は時代は永正頃(1500年頃)出羽(山形県)の月山を中心として月山鍛冶が隆盛の極みを謳歌していた時の貴重な短刀です。時代がかわり、時代とともに、本州の刀に押され消耗も加わり極めて少なくなってまいりました。本刀は典型的な月山独特の綾杉肌をわずかに現し時代経過の為に健全さに欠けますが貴重な短刀です。幕末奥州月山の末裔が水心子正秀の弟子となり大阪月山の元を作った月山貞吉、月山貞一、月山貞勝、月山貞一、月山貞利5代の基となる貴重な刀を是非お楽しみください。 売約御礼
弓杖 弓杖   90.5     本弓杖は重籐の弓を使い弓杖を作っています。優秀な弓杖は古来大変お洒落な物として一種の憧れがありました。目方も軽く実用に大変便利なものです。お洒落に弓杖をお持ちくださいませ。     売約御礼
伝備前長船祐定 室町
末期
72.3 1.8 0.7   売約御礼
短刀 伝武州下原住康重 江戸
初期
28.6 0.2 0.78 本短刀は万治頃江戸八王寺に住む下原康重の短刀です。平造短刀に地金板目肌に渦を巻いたような如輪杢と称する肌も現れているようで、刃紋は互の目に丁子が交じり刃中に金筋や砂流しを交え、相州伝を現しています。相州綱廣とも交流があったことが本短刀にも表れています。多少の鍛え肌が大きく現れるのは、焼き入れ温度が相州伝の為に高い為と思われます。お楽しみ下さいませ。 売約御礼
火縄銃 馬上筒(短筒火縄銃) 江戸
初期
86.3 銃身長52.6 口径1.2 種子島に鉄砲伝来1453年してから日本の戦国時代は鉄砲の時代となりました、いち早く取り入れたのが有名な織田信長で天下統一の元を築きあげました。本火縄銃は特別誂え品の短銃で大変貴重な火縄銃です。お楽しみ下さいませ。   売約御礼
短刀 お守り短刀 江戸
中期
18.9 0 0.62 姿は上品な平造の短刀姿、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目刃を素晴らしく良く焼いて、刃中素晴らしく明るく焼き上げています。貴人の間では、古来日本の歴史は誕生するとすぐに、お守り短刀を授け、一生涯その短刀がその人を守り続けます。それを皇室では賜剣の儀と言います。何よりも早く賜剣の儀が一番早く執り行われます。次がお食い初めの儀となり、日本ではお守り刀を戴くのが一番大切な儀式です。刀に始まり刀に終わるのが日本の伝統です。私達も良き伝統を守りたいですね。 売約御礼
短刀 伝加州住兼重 江戸
末期
28 0 0.75 幕末嘉永1849年頃の加州金府上安江御八幡神社辺住木下甚之丞兼重と銘のある兼重と極められた、短刀です。姿は身幅広く重ね厚く、中心は加州中心で刃上がり急に落した加州中心を現し、地金は小板目肌良く詰み、柾肌を現し、刃紋は三本杉を規則正しく見事に焼き上げています。中心に銘を切るだけのまま短刀を作っていながら銘が無いのは、明治5年の廃刀令の為に、銘を入れずにそのまま現在まで残ったものでしょう、時代の変遷をけなげに生き残った貴重な短刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
脇差 野武重 室町
末期
38 0.2 0.7 (名鑑漏れ)
野武重と言う刀工はこの1口しかありません。名鑑漏れの大変貴重な脇差です。姿は応永備前盛光の時代の平造脇差姿。地金は小板目肌よく詰み、流肌も現れています。刃紋は直刃を焼いています。時代は室町後期、国は備後の国あたりの刀工でしょうか。今後皆様の鑑定をお待ち致します。黒鞘に蒔絵で「松はみな枝溢れて 南無観世音」と有り難い仏語が書かれています。
売約御礼
播州住秀吉 江戸
末期
9.6 0 1.8 豊後守秀吉。大堀寿秀の子で安政1854年頃の京山城の刀工です。本槍は播州姫路で作られた大変貴重な銘となっております。本槍は所謂手槍と言うもので、本来は屋敷内の護身用、または駕籠の中の護身用として特別に作られた槍です。充分に戦えるように、槍の中心を長く作り充分な強度を保つように作られています。幕末動乱期の貴重な手槍をお楽しみください。 売約御礼
関藤原義尚作 昭和 65.8 1.5 0.77 本名武山勲岐阜関の刀工。昭和18年35歳作が有るのでご健在で有れば本年は生誕104歳となる現代刀匠です。本刀は板目肌良く詰み刃紋は元から沸出来の大のたれ刃。半分より先は互の目尖り刃素晴らしく明るく良く出来ています。本刀は鎬地に曲りを直した跡が有りますが、鑑賞には最適です。お楽しみ下さい。 売約御礼
伝陸奥守大道 室町
末期
66.4 1.5 0.7 美濃の刀工、初銘を兼道と切。正親町天皇より永禄12年(1569年)「大」の字を賜り大兼道と銘しています。永禄12年かた天正の初め頃までに陸奥守を受領大道と改名。三品派の兼道同人説もあるぐらいの為に、兄弟あるいは親しい一門であったことは間違いのないものでしょう。本刀は小板目肌よく詰み、刃紋は互の目刃が良く焼かれ、刃中大変明るく良く出来ています。 売約御礼
短刀 菊池槍直しの短刀 南北
28.9 0 0.89 南北朝期に肥後延寿鍛冶が菊池の千本槍と称するものを造る。正平14年(1359年)筑後川合戦の際に菊地武光が士卒の命じて短刀を竹竿の先に付け槍の代用にしたのが始まりと言われております。菊池槍には6寸前後(18cm)と9寸(27cm)前後の2種類が有ると伝えられその数で士卒人数が判るようになっていました。本菊池槍は9寸5分と長く最長の菊池槍です。大変貴重な菊池槍直し短刀をお楽しみください。 売約御礼
大和守安定(希望銘) 室町
末期
68.8 2.2 0.6 本刀は大和守安定の銘が有るものの、本来は室町時代の越中宇多の刀です。地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は細直刃を主体にのたれ、刃中素晴らしく明るく良く出来ています。切れ味も抜群で、その為に虎鉄と共に有名な大業物の大和守安定の銘を入れたものと思われます。希望銘大和守安定の刀をどうぞお楽しみ下さいませ。 売約御礼
濃州住兼久   63.9 1.6 0.7 南北朝時代の直江志津兼久の系統をひく刀工でしょうか、丹羽兼久、陸軍受命刀工。本刀は備前長船伝で刀を製作しています。地金は板目肌素晴らしくよく詰み、刃紋は元から先まで、備前伝互の目丁子刃をむらなく明るく、素晴らしく覇気有る刃を焼いています。兼久刀匠の代表的傑作の刀です。どうぞ大切にしてやってくださいませ。 売約御礼
伝備前国長船住祐定 室町
末期
69.6 2 0.72 本刀は生無銘の備前国長船住祐定の刀です。姿は元に踏ん張りが有り、腰で優雅に反る腰反りの姿が優美です。地金は小板目肌詰み、備前の映りが現れ、刃紋は大変覇気の有る腰の開いた互の目丁子刃が素晴らしく刃中明るく焼かれ、大変良く出来ています。備前の名刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
脇差 正真 室町
末期
45.4 1.5 0.64 (大和金房派)
天文頃(1532年頃)正真は手掻派の正真の子で、藤原から金房が辻に移って鍛刀したので金房鍛冶と言われます。本脇差は錆の為に地肌が判りませんが、ほぼ地金板目に柾が交じり地にえ付き、刃紋はのたれ刃でしょう。金房派の代表刀工の正真の脇差に、総鉄金具半太刀拵え、鞘変わり塗の素晴らし拵えが一層本脇差に華を添えています。お楽しみ下さいませ。
売約御礼
脇差 河内守国助(希望銘)   46.6 0.92 0.68 初代国助の子中河内と呼ばれ大坂新刀で助廣や真改とともに素晴らしく有名な名工です。又その華麗な刃紋から新刀一文字と呼ばれています.地金小板目肌良く詰み素晴らしく良く出来ています。本脇差は助廣の涛乱刃を見事に写しておりますが、銘は後世の御愛嬌です。河内守国助と銘の入った脇差を是非お楽しみください。 希望 売約御礼
関藤原義尚作(桜昭の刻印)(孫六兼元写) 現代 66.1 1.5 0.8 本名武山勲岐阜関の刀工。昭和18年35歳作が有るのでご健在で有れば本年は生誕104歳となる現代刀匠です。本刀は板目肌良く詰み刃紋は孫六兼元写の三本杉の刃を見事に焼き上げています。又桜に昭の刻印は現在消されたものが多く大変貴重です。 売約御礼
出雲住雲秀作(一文字写) 現代 66.8 1.6 0.72 出雲住雲秀刀匠は、昭和の刀工ですが戦後の作刀が無い為に、刀匠としての記録の不明の刀工ですが本刀が有る為に世に燦然と伝えられています。本刀は陸軍の為に精魂を傾けて作られた刀です。地金は小板目肌良く詰み。刃紋は備前伝福岡一文字写の互の目丁子刃を格調高く豪快に華やかに焼き上げています。陸軍軍刀拵えも鞘を皮で包み一度も戦地に出たことの無い造られたままで保存されて居ます。武勲の名刀をお楽しみ下さい。 売約御礼
脇差 一 助宗 室町
末期
57.7 1.5 0.74 島田助宗(天文1532年)頃の脇差です。助宗は備前から移住した刀工と言われ本脇差も全て板目肌良く詰み。刃紋互の目乱れ棟にまで焼が掛り、皆焼風になり金筋入り、備前伝と相州伝が交わった大変覇気の有る脇差です。助宗の銘に一が有りますが、備前一文字助宗を狙ったものでしょうか。銘も助宗と大ぶりに切り雅味が感じさせられます。時代の古い助宗の脇差をお楽しみください。 売約御礼
伝備州長船清光作 室町
末期
71.1 1.7 0.8 (残念ながら鋩子に烏口有)
永禄頃の備前長船清光と思われる名刀です。永禄頃は名工孫右衛門尉清光の作でしょうか。本刀は鎬造、庵棟、中切っ先でしっかりとし、反りが深く、美しい姿をしています。地金は板目肌に杢が交じり素晴らしく良く詰んだ地金を鍛え、刃紋はのたれ調の広直刃を焼き残念がら帽子に烏口と言う一種の刃切れが有ります。末備前の名工伝清光の名刀をお楽しみ下さい。
売約御礼
長光 江戸
初期
70.2 3 0.72 本太刀は江戸初期に造られた太刀で、備前長船長光の太刀では有りませんが、当時から大変反りの深い太刀で、地金は小板目肌よく詰み、刃紋は匂出来のきりりと締った直刃を素晴らしく明るく焼き刀身の彫は表に独鈷付剣に二筋樋。裏に棒樋に添え樋に草の倶利伽羅を彫っています。津田越前守助廣の大坂城代青山家伝来の村雨にも良く似た作風で、古来から縁起の良い縁起物として大切にされて物でしょう。お楽しみ下さいませ。 売約御礼
雲生 室町
末期
69.2 1.9 0.66 鎌倉時代備前雲類の祖、雲生の作として伝わってきましたが、本来は室町後期の備前長船の刀工の刀です。地金は板目肌よく詰み、刃紋は互の目丁子刃素晴らしく起伏にとんだ華やかな刃紋を焼き、刃中金筋、砂流しを交え、焼き頭から地に向かい映りを現し、刃中働きが有り素晴らしく良く出来ています。本来良く出来た刀の為に鎌倉時代の雲生と銘を切られていたものと思われます。雲生でない雲生の刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
伝現代刀2 現代 72.2 1.5 0.7 (孫六兼元写)
本刀は生無銘の現代刀です。地金は無地風に良く詰み、刃紋は関の孫六3本杉の刃紋を見事に焼き上げています。拵えも柄は銀無垢縁頭丸に梅鉢の家紋を彫り上げ、目貫も三双の銀地に梅鉢の家紋が彫られ、鍔は現代肥後透かしの鉄地鍔鞘は黒ろう鞘に銀の鯉口金具が付いています。今すぐに居合の御稽古に使用できます。お楽しみ下さいませ。
売約御礼
濃州関住服部正廣(陸軍軍刀拵付) 現代 66.5 0 0.81 羽前、池田清内。水心子正秀の弟子となり、文化二年酒井家に抱えられて、羽前鶴岡住。本短刀はお守り刀と作られて、冠落し造の姿に直刃調のたれ刃を上品に焼き上げています。彫も護摩橋に梵字を上手に彫、江戸期の短刀拵えも一段と本短刀に華を添えています。お楽しみくださいませ。 売約御礼
伝月山鍛錬所 現代 64.2 1.9 0.81 本刀は現代の刀です。元々無銘であり月山鍛錬所あたりで作られた物でしょうか。地金は小板目肌よく詰み、刃紋は匂本位の直刃を元から先まで見事に焼き上げています。刀を見るにつけて、大変垢抜けた刀を作っており、相当の刀工達で作り上げています。昭和の時代の名刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
短刀 伝大和志津写 現代 70.3 1.6 0.56 包氏は大和手掻一門と伝えられ、後美濃国志津に移住、相州正宗の十哲となり 志津三郎兼氏と改めました。大和在住時代を大和志津と古来呼んでいます。本刀は時代は江戸末期の新々刀ですが良く志津を写しています。身幅広く、重ねが薄く、樋を掻き。地金は板目肌よく詰み地沸付き、刃紋は焼き幅狭く、沸本位でのたれ乱れで刃に覇気が有り、大変趣のある刀です。大和志津写しの貴重な名刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
海軍軍刀(耐錆性刀身) 昭和
初期
61 1.3 0.68 (耐錆性刀身)
刀の大敵は錆びることですが、戦地に出ると錆を防ぐことは大変な事でした。日本軍は、陸軍、海軍、合同で、耐錆性に優れた刀の製作の研究に没頭しておりました。その結果本刀の様な錆びない金属の開発に成功して、錆の少ない刀の製作に成功しましたが、現在残っているものはほとんどなく、本刀は現存すこぶる少ない海軍軍刀拵えに入った貴重な刀です。時代に貢献した海軍軍刀をお楽しみ下さいませ。
売約御礼
脇差 出羽鬼王丸月 江戸
初期
56 1.3 0.64 鬼王丸は月山派の始祖と言われています。本脇差は建久九年鎌倉初期1198年の年号のある鬼王丸です。それはそれで御愛嬌として、刀は江戸初期の出羽大掾国路位の刀に鬼王丸の銘を入れているものでしょう。地金は小板目肌良く詰み、刃紋は互の目大乱れ刃を素晴らしく明るく焼いています。幻の鬼王丸の銘のある脇差をお楽しみください。 売約御礼
脇差 於紀州文殊重國造之 江戸初期 55.4 1.6 0.7 貞享頃(1684年頃)南紀九郎三郎重国は三代目南紀重国です、銘に文殊と切るので文殊重国と呼んでいます。祖父南紀重国と共に紀州藩工となり、ました。本脇差は地金は板目肌良く詰み素晴らしく明るく鍛え、刃紋は互の目乱れ刃を上手に焼いています。大変覇気ある脇差です。南紀重国は11代まで続きますが3代以降の作刀はあまり経眼致しません貴重な3代南紀重国の脇差をお楽しみ下さい。 銃砲 売約御礼
池田 兼綱 現代 65.7 1.8 0.75 池田兼綱は昭和の刀工で、関鍛冶の一人です。戦後は残念ながら作刀が残っておりません。本刀は地金小板目肌詰み、刃紋は直の焼き出しを焼き、重花丁子風の刃を焼き、家伝の尖り刃を交えて、素晴らしく明るい刃を焼いています。戦後も刀匠として、風雪に耐えて作刀しておれば、きっと名を挙げた刀工でしょう。昭和の刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
伝孫六兼元写 現代 66.5 1.2 0.75 本刀は昭和時代の現代刀、地金は素晴らしく小板目肌よく詰み、刃紋は孫六兼元写しの三本杉を見事に焼き上げています。鉄条網でも断ち切るとの信念で作られた素晴らしい刀をお楽しみ下さい。 売約御礼
脇差 清光(非人清光) 江戸
初期
52 1 0.71 延宝頃(1673年)長兵衛、笠舞に有った加賀藩のお救い小屋にいたことから昔から大変有名な非人清光と称される。本脇差は小板目肌良く詰まり地金良く鍛えられ強い地金に、匂出来の小沸の付いた直刃調小互の目を焼き、刃中素晴らしく明るく、素晴しく覇気有る古刀を彷彿とさせる清光の最高傑作の刀です。如何にも業物と言われる大変素晴らしい名刀です。お楽しみくださいませ。 売約御礼
菊池槍   14.2 0 0.83   売約御礼
軍刀 佐藤兼住 現代 67.1 1.6 0.67 (海軍正式軍刀拵付)
本刀は佐藤兼住刀匠の海軍軍刀に製作されたものです。兼住刀工は戦後刀匠として復活しなかったので昭和の刀工として残っています。地金は小板目肌良く詰み。刃紋は互の目刃を明るく焼き上げています。海軍軍刀拵えは、艦船共々海底深く沈んでしまったために、現在は大変貴重なものです。お国の為に貢献した海軍軍刀をお楽しみ下さいませ。
売約御礼
奉宣於氏房作之(孫六兼元写) 現代 62.6 1.2 0.75 篠田姓。渡辺兼永。加藤寿命の弟子です。本刀は地金小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目刃に尖り刃を交え明るく良く出来ています。室町時代の関の巨匠孫六兼元を写した刃を焼いて上手です。奉宣於作と読める銘を彫っていますが、特別の地名でしょうか、又は皇室関係の場所でしょうか、現在でははっきりとわかっておりません。後世の研究に待つところです。 売約御礼
平安城住国政(槍) 江戸
初期
28.8 0 0.97 国政は堀川国廣の弟子で、寛永頃の刀工です。本槍は姿優美で心地よい姿を現し、地金は板目肌に柾肌が現れ、刃紋は直刃を焼き鎬筋に飛び焼きを現し、覇気有る刃を焼いています。国政は堀川国廣の代作を多くしたために本人の作品大変少なく、本槍は大変貴重な槍となっています。お楽しみ下さいませ。 売約御礼
短刀 海軍短剣 現代 19.3 0 0.47 ああの顔であの声で、で始まる海軍予科練の歌はあまりにも有名です。その上の海軍兵学校を卒業する時に本短剣の授与がおこなわれ海軍士官としての自覚と誇りをそして国の守りに命をかけて戦いました。海軍の白い夏服の制服と海軍士官のシンボルの本短剣は日本国中の憧れの的でした。勉強が出来、身体強健のものは第一に海軍兵学校を受験したものです。日本を命をかけて守った海軍軍人の魂を感じ取ってください。 売約御礼
短刀 兼吉(善定) 室町
初期
17.4 0 0.59 祖先は大和手掻包吉の子で包光や包氏と共に関に移住して兼吉と名乗るようになりました。明治時代まで兼吉の名跡が続きます。本脇差は関善定兼吉永享(1429年)頃の名短刀です。関善定派の多くは直刃を焼いて上手です。本短刀も姿堂々として、地金小板目肌良く詰み、地には白気映りが現れ地にも柾肌が現われ、刃紋はのたれ刃を明るく素晴らしく良く焼いています。拵えも幕末の印籠刻み鞘の粋な拵えが、本短刀に一層華やかにしています。 白拵 売約御礼
脇差 伝手掻包永(薙刀直脇差) 室町
末期
41.3 1.4 0.8 本脇差は室町期の大永1521年頃よりももっと古く作られたかもしれませんが、薙刀を後世に脇差に直したものです。地金は板目肌に柾肌を交え地景が現れ、乱れ映りが立ち、刃紋は直刃に金筋、砂流しが現れ、立てに素晴らしく良く働き、地金と刃紋の働きが見事に現れた素晴らしい薙刀直しの脇差です。素晴らしい薙刀の為に、後世わざわざ脇差に直してでも、武士の魂として、身の近くに於いておきたかったのでしょう。貴重な時代の古い、後代手掻包永であろう脇差をお楽しみ下さい。 売約御礼
短刀 兼真 室町
末期
16.5 0 0.53 永禄頃1558年頃の美濃の刀工。代々続く名門刀工です。姿鵜の首造と言う特別な姿美しく、地金小板目肌に柾肌を現わし、刃紋は互の目を素晴らしく良く焼き入れして、刃中素晴らしく明るく焼き入れをしています。拵えも江戸時代の、小さ刀拵え、鞘は青貝微塵塗鞘で縁頭、鍔は四分一金具をあしらい、本短刀に一層華を添えています。小ぶりの短刀とはいえ充分に武士の役に立った武勲の短刀をお楽しみくださいませ。 売約御礼
濃州関住清宣作 現代 65 1.6 0.72 (孫六兼元写)(陸軍軍刀拵付)
清宣は本名長村松市。陸軍受命刀工。岐阜県賀茂郡田原村大杉住。本刀は正式陸軍軍刀拵の付いた刀です。姿堂々と豪壮で、地金は素晴らしく良く詰んだ地金に、孫六兼元の三本杉の刃紋を見事に表し。お国の為に働いた武勲の刀です。大切に致しましょう。
売約御礼
短刀 備州長船法光 室町
中期
15.6 0 0.4 一番上手と言われる新左衛門尉法光です。鎧通しの姿で大変鋭い姿をしています。地金は板目肌良く詰み、飛び焼きも交え、刃紋はのたれ刃を変化多く覇気有る素晴しい刃を焼き上げています。同時代の与三左衛門尉祐定の刀にも匹敵する、名短刀です。末備前の名短刀をお楽しみくださいませ。 売約御礼
兼房(大身槍) 室町
末期
36.8 0 10 永正(1504年頃)の兼房家は善定一門の嫡系として関鍛冶の頭領と言うべき惣領職で「惣領家」と呼ばれる名門刀工です。本槍は大業物で有名な永正兼房で 地金は小板目肌に柾目肌を交え刃紋は匂い出来に小にえが良く付き素晴らしく明るい刃を焼いています。兼房は兼房丁子と言われる頭の丸い独特の刃を焼きますが、本槍は善定本来の素晴らしく上手な乱れ刃を焼いて格調高く、1尺以上の槍を大身槍と言い大身の武将しか持てない価値ある槍です。貴重な槍をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
短刀 お守り短刀 伝森岡正吉 現代 19.6 0 0.63 本国土佐南海太郎朝尊の孫、宮本包則や月山貞一に師事した、森岡正吉の作であろうと思われる短刀です。本短刀は小ぶりの短刀姿に地金は板目肌を良く鍛え強い地金に、刃紋は互の目尖り刃を素晴らしくむらなく焼き上げています。拵えも小さ刀拵えで大変粋な拵えになっています。お守り短刀として大切にされてきた短刀です是非お楽しみ下さいませ。 売約御礼
短刀 伝備前長船祐永 江戸
末期
20.7 0 0.61 本短刀は幕末備前刀の卓美を飾る備前長船祐永の短刀です。板目肌素晴しく良く詰み刃紋匂い素晴らしく締まって明るく冴えた互の目丁子刃を焼いて、冠落造の名短刀です。拵えも幕末の小さ刀拵え、鞘は鯉口、こじり、笄は鼈甲で豪華に作り。塗は黒乾漆塗、鍔は鉄地江戸肥後桜の図、縁頭は鉄地肥後矢尻の図、目貫は素銅亀の図龍一作拵えとなっており、力強さと華やかさを兼備した本短刀をより一層華やかに彩っております。 売約御礼
宗利 軍刀 現代 63.1 1.7 0.8 昭和十九年七月
山上若吉。新潟県刈羽郡、国工院会員権大宗匠。陸軍軍刀技術奨励会会長賞受賞刀匠。
本刀は軍刀なれど古法どうり本鍛錬された名刀です。鎌倉時代の備前福岡一文字を狙った快心作です。地金は小板目肌良く詰み、刃紋は備前一文字の大丁子乱れを元から先までむら無く焼き上げて明るく冴えています。お国の為に大変貢献をした名刀を是非今後の為に保存愛護してやってください。軍刀拵えに一分欠損が有りますが、時代の物としてお許し下さい。
売約御礼
脇差 國重(宇多) 室町
末期
47.7 1.1 0.62 永禄頃越中の宇多の刀です。地金板目肌に柾目肌交じり、地に白気映りが現われ、地金、所どころ荒くなり刃紋は互の目乱れ刃、金筋を交え覇気が有ります。この様な刀は大変物切れする刀で、古来戦場で大いに活躍したものと思われます。北国の刀は寒さのために折れる事に一番気をつかい製作されています。非常に粘り気ある地金を作り出しております。拵えも江戸中期の如何にも質実剛健な武士好みの立派な脇差拵えが、本国重を飾っています。宇多国重の刀を大いにお楽しみくださいませ。 売約御礼
矢立 矢立2                 売約御礼
花切り 花切り                 売約御礼
槍伝越前関 江戸
初期
14.2 0 0.67 室内戦闘用の、護身を兼ねた槍です。江戸時代は武家は常時戦う準備をしなければならず、室内でも本槍の様に短い槍を常時傍に置き、常在戦場の心意気を示しました。本槍は中心を短くしていますが、江戸初期の越前関の槍と見え大切にしていたものと思います。常在戦場の武士の心意気をお楽しみくださいませ。 売約御礼
三所物 三所物民具の図 江戸
末期
              売約御礼
短刀 短刀時代国不明 不明 23.8 0.4 0.42 現在は大変古く見えますが、時代國一切不明の短刀です。中心から見ますと古く感じられますが、研ぎ上げて見ないと一切不明です。是非将来研ぎ上げてやってください。名短刀になるかも知れません。お楽しみ下さい。 売約御礼
短刀 伝末手掻 室町
後期
25.6 0 0.67 大和手掻派の短刀。平造の姿に地金は板目に柾目肌が激しく現われ。地に映りが現れ刃紋直ぐ刃に二重刃が交じり大和伝の掟どうりの短刀です。時代は1532年天文頃の堂々とした名短刀をお楽しみください。 売約御礼
短刀 伝越前関 江戸
初期
23.7 0.16 0.7 本平造短刀は江戸時代初期の越前関の刀工の脇差を直した短刀です。地金は板目に柾肌が流れ、刃紋はのたれ乱れを焼き刃中素晴らしく明るく、非常に覇気有る平身の現在は短刀となっています。地金は多少黒く北国地金を現し、越前康継と同時代の脇差を短刀に直したものです。400年の時代の経過を誇り高く表しています。お楽しみください。 売約御礼
若狭大掾藤原冬廣長三良作 江戸
中期
24.6 0 2.03 初代冬廣は相州二代広次の子で若狭小浜に移住。本冬廣は元禄(1688年頃)名人冬廣。本槍は地金板目に流れて柾が交じり地にえが付き、刃紋は時代経過のせいで、はっきりしませんが大変覇気を感じられます。このような豪壮な槍は大変数が少なく、攻城用の槍として、大手門を破る為に作られたものです。若狭大掾冬廣の槍は大変少なく貴重です。冬廣の槍をお楽しみ下さい。 売約御礼
下坂 江戸
初期
24.7 0 1.02 本槍は江戸時代初期の越前下坂派の鍛錬した槍です。地金板目に柾肌流れ特に柾肌激しく現れ刃紋匂い本位の直刃素晴らしく覇気がります。下坂と越前下坂の銘が有り。下坂銘なれども相当の刀工が鍛錬を重ねて世に送り出した槍です。三百数十年の歳月が経ったのに少しの傷みもありません。まだまだ健全に槍の役目を果たせるものです。後世に大切に残してやりたいものです。 売約御礼
采配 船采配 江戸
中期
55     本采配は古来柄が長いために船上から指揮をする船采配として使われたものです。柄には蒔絵が描かれ時代も古く、高位の侍の采配と思われます。船采配をお楽しみ下さい。     売約御礼
脇差 兼次 室町
末期
37.8 1 0.66 (業物)
兼次は永正(1504年)頃の美濃の刀匠で、業物として有名です。本脇差は菖蒲造の豪壮な造で、地金は板目肌が大変美しく現れ板目肌の標本の的な素晴らしい鍛えをしております。刃紋はのたれ刃に三本杉を流暢に焼き、あたかも村正の刃紋を見るような素晴らしい覇気有る刃を焼き上げています。本脇差は刃こぼれが有る為に、次にお持ちになる方に直して戴くために破格の価格でご提供致します。
売約御礼
短刀 お守り短刀 伝森岡正吉 現代 18.2 0.05 0.63 本国土佐南海太郎朝尊の孫、宮本包則や月山貞一に師事した、森岡正吉の作であろうと思われる短刀です。本短刀は小ぶりの短刀姿に地金は板目肌を良く鍛え強い地金に、刃紋は互の目刃を素晴らしくむらなく焼き上げています。拵えも黒蝋合口拵えで大変粋な拵えになっています。お守り短刀として大切にされてきた短刀です是非お楽しみ下さいませ。 売約御礼
脇差 銘不明(仕込杖拵添え)   52.3 0.4 0.7 本脇差はご覧の通り、地金刃紋一切不明の為にだれが作った脇差か一切不明です。是非将来研ぎをしてやって下さい。その分格安にてご提供いたします。本脇差には仕込杖の拵えが付いています。全体に鮫皮を張った強靭な拵えとなっています。お好きの方は是非コレクションの仲間に入れてやってください。貴重な仕込み杖拵えの添えられた脇差です。 売約御礼
若狭国冬廣 室町
末期
23.3 0 1 初代冬廣は相州二代広次の子で若狭小浜に移住。本冬廣は三代目大永頃1521年の名人冬廣。本槍は地金板目に流れて柾が交じり地にえが付き、刃紋は小にえ出来の互の目みだれ刃に尖り刃を交え大変覇気を感じられます。冬廣の槍は大変少なく貴重です。冬廣の名槍をお楽しみ下さい。 売約御礼
脇差 正宗 室町
中期
48.6 1.2 0.52 本脇差は古来相州正宗として伝えられた平造脇差で、世の中に初めて出てきたために、前の御持ち主が研磨剤で磨いたために地肌や刃紋はピカピカ光って不明ですが、刃紋はかすかに変化の有るのたれ乱れ刃が見て取れますが、あくまでも不明です。江戸時代は大変大切にされたのでしょう、白鞘に金高蒔絵文字で、正宗 号千代鶴 代金子参百枚と書かれ大名家に有ったのでしょう、正宗の銘がまた御愛嬌で、コレクションの中に入れてやってください。古来名刀の代名詞と言われる正宗の名脇差を楽しんでお持ち下さい。 売約御礼
脇差 伝越前関(美しい拵え付) 江戸
初期
48.5 1.1 0.7 本脇差は江戸時代初期の越前関の刀工の作と思われる脇差です。地金は不明ですが、鎬地は柾となり、鎬が高く刃紋はあまり良く判りませんがのたれ乱れを焼き刃中素晴らしく良く働いています。拵えが素晴らしく、青貝塗篠鞘、とっぺい造。縁頭鶴丸家紋を据え鉄鍔を付け明るく、非常に覇気有る脇差となっています。是非研ぎ上げてやってください。 売約御礼
下坂作 江戸
初期
21.3 0 1.07   売約御礼
脇差 伝田代兼信 江戸
初期
46.4 1.6 0.66 兼信の祖先は直江志津兼信で室町期には善定派に受け継がれ新刀期に至っています。本脇差は江戸初期寛永時代の田代源一兼信の作品です。鎬造で地金は板目肌良く詰み飛び焼きを交え青黒く光り美濃の独特の地金を鍛え、美濃刀工の代表的刃紋の三本杉の刃を素晴らしく明るく焼いて見事です。新刀美濃の刀は大変貴重で、殆どの鍛冶は地方に出て行っておりました。美濃本国の刀匠の名脇差をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
脇差 伝兼吉 室町
初期
48.7 1.1 0.63 祖先は大和手掻包吉の子で包光や包氏と共に関に移住して兼吉と名乗るようになりました。明治時代まで兼吉の名跡が続きます。本脇差は関善定兼吉永享(1429年)頃の名脇差です。関善定派の多くは直刃を焼いて上手です。本脇差も姿堂々として、地金小板目肌良く詰み、地には白気映りが現れ鎬に柾肌が現われ、刃紋は直刃を明るく素晴らしく良く焼いています。典型的な兼吉の脇差をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
美濃国御勝山麓住藤原永貞 江戸
末期
63.2 1.4 0.73 文久二年二月作之 (希望銘)
永貞は、松井治一郎。美濃赤坂千手院の刀工に刀の鍛え方を学び、後独学で鍛刀法を開発、江戸青山、京都、松江、伊勢でも刀を鍛えています。生地が美濃御勝山の近くであったために、銘に御勝山麓住と切っています。初期作は小板目肌の詰んだ無地風の地金で、小沸出来の直刃を焼いています。本刀は永貞の初期の刀に見える様な刀。但し銘は研究の余地有。
希望銘 売約御礼
伝三原正近 室町
末期
63.9 1.2 0.57 (剣道形用に使用して下さい)
本刀は姿反り深く優しい姿で、小杢肌に板目肌交じり、柾肌が現われる。刃紋は焼幅せまくのたれ乱れ刃で大和伝風で刃中は小豆程度の小互の目が交じっています。本刀は室町時代の備後現在の広島県の三原で作られた刀です。総称して備後三原と呼んでいます。残念がら刃紋がはっきりといたしませんが剣道形用に使用する真剣や居合の組み太刀の技等に使用する真剣には拵えも付いて大変良いものです。室町時代の古刀で是非形のお稽古をされては如何でしょうか。
白拵 売約御礼
亮信 現代 61.8 1.7 0.66 亮信刀工は出身も、どこで作っていたかも残念ながら不明ですが、戦前の刀工で戦後は刀工としての作品を残していません。本刀は地金小板目肌を鍛え、刃紋は備前伝互の目丁子刃に足が見事に美しく入り、刃中の働きが盛んで、刃中に葉がしきりと入り大変変化の有る、良い働きの有る刃を、見事に焼き上げています。戦後復活しておれば、後世に必ず名を残した名工でしょう。お国の為に尽くした刀工の刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
伝現代刀(陸軍軍刀拵付) 現代 61.9 1.3 0.71 本刀は昭和時代の刀工で、戦後は日本刀鍛錬に関わらなかった刀匠でしょう。無銘で世に出されています。その為誰の作かわからず戦後の作品が残っておりませんが、本刀は小板目肌良く詰み、刃紋は孫六兼元の三本杉を上手に焼き、孫六兼元写の刀を見事に鍛え上げています。お国に尽くした刀を大切にしてください。 売約御礼
脇差 兼永 室町
末期
42.2 1.2 0.58 大和奈良派の兼永が鎌倉時代に関に移住、代々兼永と銘を切るが、明応以前の兼永の作刀は現存しない為、本刀も永禄頃の兼永で丁度織田信長の桶狭間の戦いの頃に作られた脇差です。地金は小板目肌がよく詰み柾目肌を交え。刃紋は互の目に尖り刃が交じり大変趣のある脇差です。元は大名の腰を飾るのにもってこいの寸法で大変調子の良い脇差です.兼永の在銘の物は大変少なく、古来山城五条兼永と言い伝えられたものの多くがこの兼永です。 売約御礼
脇差 古銘国廣近江守久道上 室町
末期
47.3 1.1 0.78 本脇差は伊賀守金道の門の近江守久道がすりあげる前の銘は堀川国廣の銘が入っていましたと中心に彫っています。確かに地金は堀川定住後の国廣の綺麗な地金に鍛えられ、刃紋は相州伝の互の目乱れ刃を明るく焼き上げ、名刀の脇差を造っています。私見では堀川国廣の弟子の出羽大掾国路の相州伝の傑作の脇差と見たいものです。 売約御礼
小柄 小鍛冶義人(お守り小柄) 現代 14.2 0 0.32 西澤家御守護
あの有名なハリウッドの映画監督スピルバーグや日本の映画監督の巨匠宮崎駿の刀を作った日本で最も有名な刀匠吉原義人のお守り小柄です。地金良く詰み、刃紋はのたれ乱れ刃を品良く焼き上げています。拵えは御目出度く、朱鞘に柄は出し鮫合口拵えに、目貫は目出度く珊瑚の目貫をあしらえ鞘には龍の高蒔絵を目出度く描かれています。大変貴重な吉原義人刀匠のお守り小柄をお楽しみ下さい。
売約御礼
短刀 母利家重代兼風 花押 江戸
末期
18.6 0 0.8 文化二年八月日
文化2年(1805年)兼風刀匠が母の実家の利家家重代の為に打ち上げた会心作です。鵜の首造の短刀の姿に打ち上げ、地金は板目肌良く詰み、刃紋は互の目乱れ刃上品に焼き上げています。彫物は菊花を浮き彫りに上手に彫り上げています。兼風刀匠は不思議な事に名鑑には載っていないために、本短刀は兼風刀匠にとっては大変貴重な一刀です。お楽しみ下さい。
売約御礼
短刀 波平住大和守平行安 明治 25.9 0 0.69 明治二年巳二月日
波平六十三代安利の跡を継ぐ波平友之丞又は勘之丞。安政5年大和介受領慶応元年大和守を受領。本短刀は地金小杢目肌詰み刃紋は直刃に二重刃交え明るく焼き上げています。[]は不明ですが、薩摩の刀は良く、中心が本刀の様に傷んでいるもの多く、それは中心を塩につけ腐らして、柄から抜けなくして、実戦に役立てるためと言われています。薩摩は昔から武の国の証の短刀です。お楽しみ下さい。
売約御礼
短刀 お守り短刀 伝森岡正吉 明治 19.3 0 0.61 本国土佐南海太郎朝尊の孫、宮本包則や月山貞一に師事した、森岡正吉の作であろうと思われる短刀です。本短刀は小ぶりの短刀姿に地金は板目肌を良く鍛え強い地金に、刃紋は互の目刃を素晴らしくむらなく焼き上げています。拵えも小さ刀拵えで大変粋な拵えになっています。お守り短刀として大切にされてきた短刀です是非お楽しみ下さいませ。 白拵 売約御礼
伝吉井吉則(大摺上無銘)(応永備前) 室町
初期
61.8 1.6 0.67 本刀は本来は2尺4寸位の太刀を大スリアゲをした刀です。世の中に出てきたばかりですので、少々錆や切っ先に鍛えの肌が出ていますが、是非お手入れをしてやってください。本刀は腰反り高く姿が良く名刀の気位を持っています。地金小板目肌詰み棒映りが微かに表れ、刃紋は匂いが締った互の目の頭がそろい、連続して続いている、吉井の特徴を顕著に現わしています。応永備前の代表刀工の一人の 吉井吉則の素晴らしい名刀をお楽しみください。 売約御礼
山川永兼(孫六兼元写) 昭和 64.5 1.8 0.78 山川永兼刀匠は昭和の刀工ですが、戦後刀匠としては製作しなかったために、残念ながら作刀が残っておりません。本刀は腰反高く元先の差が有る鋭利な姿を現し。地金は小板目肌素晴らしむ良く詰み、刃紋は大らかな孫六兼元の三本杉の刃紋を見事に焼き上げています。家伝来の拵えに軍刀の柄を造り、昔は鞘に革をかぶせていたものです。孫六兼元写しの名刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
渡辺正延作(孫六兼元写) 現代 65.9 1.6 0.74 正延刀匠は大分県の刀工で、戦後の作品が無く、戦後刀匠として復活しなかったものと思われます。本刀も関の孫六兼元を写した刀で、地金は大変綺麗な地金で、刃紋は孫六兼元を見事に写した三本杉の刃紋を焼き上げています。拵えも近代の拵えですが、充分鑑賞に出来ますので一緒にお楽しみ下さいませ。 売約御礼
脇差 寿命 室町
末期
51.5 0.8 0.65 安政2年(1819年)大慶直胤の娘婿備前伝は大慶直胤よりも上手との評判が高い名工です。本刀は小板目肌良く詰みにえの深い互の目丁字を上品に焼き如何にも次郎太郎直勝の応永備前写しの名刀と思われますが、残念ながらあくまでも希望銘です。しかし刀は非常に上手で如何にも直勝に見える堂々とした刀です。参考にご覧くださいませ。 売約御礼
濃州関住兼定作 現代 66.9 1.9 0.85 和泉守兼定の子孫でありましょう、本刀は大正昭和に作られた兼定の刀です。軍刀拵えからすると、昭和になってからの作品でしょう。地金小板目肌よく詰み、刃紋は孫六兼元写の三本杉見事に元から先までむら無く焼き上げています。太平洋戦争後は復活しなかった刀匠の為に、これほどの腕を持ちながら、作刀が無く大変貴重な刀です。お国の為に活躍した兼定の刀を大切にして下さい。 売約御礼
関野呂正則作 現代 61.4 1.9 0.8 (海軍軍刀拵付)
野呂正則刀匠も戦後刀匠として復活しなかった刀工でしょう。戦後の作が有りません。本刀は小板目肌よく詰み、刃紋はのたれ乱れ刃に互の目刃が交じり明るく焼いています。海軍軍刀拵えも常の鮫鞘の物でなく、一風変わった海軍軍刀拵えで、反対に少ない為に現在は貴重な海軍軍刀拵えとなっています。海軍は殆どの軍艦が沈んだために、軍刀も艦と運命を共にした為に残っているもの少なく貴重です。御国に貢献した海軍軍刀を大切にして下さい。
売約御礼
直勝(希望銘) 江戸
末期
69.3 1.8 0.8 安政2年(1819年)大慶直胤の娘婿備前伝は大慶直胤よりも上手との評判が高い名工です。本刀は小板目肌良く詰みにえの深い互の目丁字を上品に焼き如何にも次郎太郎直勝の応永備前写しの名刀と思われますが、残念ながらあくまでも希望銘です。しかし刀は非常に上手で如何にも直勝に見える堂々とした刀です。参考にご覧くださいませ。 希望銘 売約御礼
短刀 瑞雲子善貞 現代 26.2 0 0.52 明治33年生まれ。川島忠善門。 山村繁松。土佐鏡村。国工院会員名誉宗匠。元陸軍技術奨励会会長賞受賞。本短刀は地金板目肌良く詰み、刃紋互の目丁子刃、元から先までむらなく良く焼かれ、匂い口明るく、足良く入り、金筋交じり良く出来ています。短刀の製作は大変難しく、特に現代刀匠はなかなか難しく製作する刀匠少なく、善貞26226刀匠の短刀の快心作と言えるものです。どうぞお楽しみくださいませ。 売約御礼
祐定 室町
末期
65.6 2.1 0.7 備前国長船祐定は名刀の代名詞として余りにも有名です。本刀は製作年代が有りませんが、永禄(1558年頃)の作でしょう。本刀は姿は先ぞりが強くついた末備前の独特の大変良い刀姿で、少々鍛え肌が出ていますが、古刀として見所のある刀です。地金は板目肌で備前独特の潤いのある地金で見事な映り立ち、刃紋は直刃調に互の目丁子の足が良く入り、刃中葉が働き千変万化の変化を表し、素晴らしく覇気ある刃を焼き上げています。有名な備前長船祐定の名刀をおたのしみください。 売約御礼
短刀 兼元 七十三.才造 現代 25 0 0.65 (二十七代兼元)
贈長孫香
得印派の金子孫六家の嫡系、金子達一郎。大正13年1月生まれ。昭和19年二十七代兼元を襲名。本短刀は地金小板目肌に柾肌を鍛え地金が強く鍛錬され、刃紋は直刃を素晴らしく明るく焼き上げています。本短刀は平成9年の作刀です。ここに孫六兼元家27代500年の伝統を脈々と受け継ぐ名短刀をお楽しみください。
売約御礼
脇差 弘宗作 現代 45.5 0.9 0.76 平成二十四年六月吉日
弘宗刀匠は本名、高羽弘昭和29年生まれ、父高羽誠に師事。特賞1回、優秀賞2回、努力賞4回受賞多数、相州正宗の弟子志津三郎兼氏を目指し日々精進している刀工です、現在の関鍛冶の代表刀工の一人です。本脇差も姿は南北朝時代の元末の差の少ない姿に切っ先が延びた豪壮な姿を現し、地金は板目肌良く詰み、刃紋はのたれ乱れ刃相州伝のちじに乱れた豪快な刃を焼き見事に志津写しの名脇差を再現致しています。お楽しみ下さい。
売約御礼
伝現代刀(孫六兼元写) 現代 62.8 1.2 0.73 本刀は生無銘の現代刀です。地金は無地風に良く詰み、刃紋は関の孫六3本杉の刃紋を見事に焼き上げています。時代的に大正から昭和にかけての刀でしょう。拵えは現代の拵えですが、今すぐに居合の御稽古や試し切りのお稽古に使用できます。お楽しみ下さいませ。 売約御礼
脇差 陸奥大掾三善長道(会津虎鉄) 江戸
初期
51.5 0.6 0.58 最上大業物
会津に生まれ後に江戸へ出て、山野勘十郎久英より刃味についての奥義を授かり、素晴しい切れ味を誇っています。本脇差は地金小板目肌良く詰み、地沸良く付き、刃紋互の目、互の目尖り刃を交え小沸良く付き匂深く素晴しく冴え。本刀もぼうしが虎鉄ぼうしとなり、長曽祢興里入道虎鉄を彷彿とさせる名刀です。拵えも簡素ですが江戸期の拵えが付いています。お楽しみ下さい。
売約御礼
伝越前関 江戸
初期
716 2 0.7 寛文1661年頃の越前の刀工です。代表刀工は越前康継、長曽根興里入道虎鉄、等々名工を多く排出致しました。本刀も寛文新刀体配の反りの浅い切っ先の小さい優美な姿で、地金は板目肌が強く柾肌現れ、地金が北国地金でやや黒く輝いています。刃紋は互の目刃に尖り刃も交え足が良く入り、地に向かい素晴らしく良く働いています。長年の戦国時代も収まり、世の中は平和を満喫していましたが、道場では、竹刀剣道が大変流行り、突き技が大層行われ流行として寛文新刀と言う突き技に適した反りの浅い刀が大いに作られました。寛文新刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
伝現代刀 現代 65.4 1.7 0.64 地金小板目肌素晴らしく良く詰み刃紋のたれ刃に乱れ、互の目刃大変沸深い足を焼いて互の目刃交じり覇気ある刃を焼いております。この度初めて世に出たために、手入れが充分ではありませんが、お楽しみ下さい。 売約御礼
二王 江戸
初期
68.2 1 0.67 長州山口県の二字銘二王ですが二王方清(まさきよ)でしょう。寛文1661年頃の刀匠で二王清継の末裔と言います。本刀は乱れ刃に互の目を交え奔放な刃を焼き覇気があります。幕末の拵えが付いています。二王の由来は鎌倉時代二王清綱の名刀で仁王門が火災で仁王が鎖に縛られ逃げれないのを清綱の名刀で鎖を断ち切り仁王を逃したのでその後尊称として一族刀匠に二王を付けたのが始まりです。二王の方清の刀をお楽しみください。 売約御礼
芸州住栗田正光作 昭和 66.6 1.4 0.74 幕末の刀工雲龍子源正光の後代が広島で作刀をしていたものでしょうか。粟田正光刀匠はその昭和の時代を代表する刀工です。本刀は備前伝を元として作刀しています。地金小板目肌よく詰み、刃紋は備前伝互の目丁子刃を元から先まで明るくむら無く焼き上げ、正光刀匠の腕の確かさを現しています。正光刀匠の快心作をお楽しみ下さいませ。 白拵 売約御礼
袋槍
薙刀
伝越前関 袋槍
伝兼常 薙刀
江戸初期 18.1
37.8
0
3.2
0.7
0.75
槍と薙刀の1組の貴重な文化遺産です。江戸期には武士は槍と薙刀を座敷の鴨居に必ず掛けていました。いざ戦いと言うときは、武士は槍を持ち戦い、武家の女性は薙刀を持ち戦いました。どの武士の家でも槍薙刀は必ず大切にしていました。本槍薙刀は室内戦闘用に作られて、柄を短く特別作られており現在ならば室内の飾るのは大変良いものです。武家の槍と薙刀をお楽しみください。


売約御礼
短刀 源 清麿 江戸
末期
27.8 0.2 0.65 本短刀は源清麿のおそらく造を模造した短刀です。現代の人気第一の刀工ですが、現存作少なく、どうしても源清麿をお持ちになりたい方にお勧めいたします。拵えも合口拵え大変良く出来ております。大変良く写した源清麿の短刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
関武山義尚作(孫六兼元写) 現代 67.1 1.5 0.73 本名武山勲。岐阜県出身
本刀は孫六兼元写しの互の目丁子刃を素晴らしく良く焼いています。時代的に強靭な日本刀を製作に素晴らしく心血を注いだ力作です。是非武山義尚の孫六兼元写しの刀をお楽しみください。
売約御礼
伝兼国 室町
末期
63 1.6 0.68 本刀は450年前の戦国時代の美濃の伝兼国の刀です。地金は小板目肌に板目肌を交え鎬には柾肌が現れ、刃紋は尖り互の目刃素晴らしく覇気ある高い刃を焼いています。戦国乱世をくぐりぬけてきた武勲の刀です。尖り刃は孫六兼元から作られていますが、戦国武将の好みに合ったのでしょう本刀兼国の様な華やかな尖り互の目刃は大層もてはやされものです。拵えは江戸中期の拵えで、鞘は青貝塗に桐と鳳凰を蒔絵にした御目出度い鞘に、縁頭は雲龍の図、目貫剣巻龍、鍔は鉄地仙人の図、をあしらった豪華な拵が本刀を一層華やかに飾っています。戦国時代の美濃の兼国の刀をお楽しみ下さい。 売約御礼
伝越前関 江戸
初期
71 1.2 0.69 寛文1661年頃の越前の刀工です。代表刀工は越前康継、長曽根興里入道虎鉄、等々名工を多く排出致しました。本刀も寛文新刀体配の反りの浅い切っ先の小さい優美な姿で、地金は板目肌が強く柾肌現れ、地金が北国地金でやや黒く輝いています。刃紋は互の目刃に尖り刃も交え足が良く入り、地に向かい素晴らしく良く働いています。長年の戦国時代も収まり、世の中は平和を満喫していましたが、道場では、竹刀剣道が大変流行り、突き技が大層行われ流行として寛文新刀と言う突き技に適した反りの浅い刀が大いに作られました。寛文新刀をお楽しみ下さいませ。 売約御礼
伝越前関 江戸
初期
70.8 1.8 0.68 重量鞘払い930g。 売約御礼
兼則 昭和十八年十二月 現代 66 1.7 0.7 小島太郎。関の代表刀工小島兼道の弟明治40年生まれ、元陸軍受命刀工。戦後は新作名刀展に出品多数。多数の賞を受ける名工です。本刀昭和18年に作られ、お国の為に大変貢献し国を守った刀です。小杢目肌素晴らしく良く詰まり、刃紋は直刃を匂深々と焼き肥前国忠吉の様な、直刃を焼いた大変な意欲作を打ち上げています。今は亡き名工兼則の戦争中の作をお楽しみくださいませ。 売約御礼
脇差 氏信岩捲 室町
末期
36.5 0.3 0.76 本脇差は大永(1521年)頃美濃の刀工です。寿命の末流で岩捲鍛冶の代表者の一人です。清水住。本脇差は身幅広く切っ先の延びた姿に、地金は板目肌に柾目肌が交じり肌が立、刃紋は小沸出来の互の目乱れ刃古調に見れます。地金が鍛え肌が荒く出ているところが有り、美濃鍛冶の手癖かもしれません、刃も弱いところが有りますので、500年の間に相当使用されたのかもしれません。研ぎの御稽古にでもお使い下さいませ。 売約御礼
奥州白川臣正繁(槍) 江戸
末期
17.3 0 0.72 宝暦十年姫路に生まれ、6代目氏重となり、天明頃大坂でも作刀。天明八年(1788年)白河白翁に500石で抱えられて、江戸に移住神田駿河台、八丁堀で鍛刀する。本槍は室内護身用の槍として造られたもので、充分に地刃は明らかではありませんが、姿は端正にして凛として、刃紋は透かして見ますと直刃を上手に焼いています。幕末の名工手柄山正繁の手槍をお楽しみ下さいませ。 売約御礼


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