展示 刀剣 一覧 日本刀の通信販売 株式会社 明倫産業 保管庫 |
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※表示の価格は全て税込です。 |
No. | 種別 | 銘文 | 時代 | 長さ(cm) | 反り | 元重 | 解説 | 証書 | 質 | 付属 | 価格 |
短刀 | 勢州桑名住村正 応永二年八月日(妖刀村正) |
室町 初期 |
28.2 | 0.1 | 0.41 | 長さ9寸3分 妖刀の名で世界的に有名な村正の短刀です。本短刀は寸が延びた平造の姿で中心は村正独特のたなご腹を現し、地金はすこぶる板目肌詰み、刃紋表裏揃った互の目刃に矢筈刃を交え、刃先は先につけぬけるところが有り村正独特の焼き刃を焼き大変覇気があります。村正は伊勢の刀工、徳川家にあだ名す刀ということで、徳川幕府では特に忌み嫌った刀ですが有栖川親王が戊辰戦争の時に東征軍総大将になり、徳川幕府を打ち倒すとの意味を持ち、その時の佩刀が村正の刀で有ったことは、大変有名なお話です。本短刀は名鑑では初代村正南北朝貞治頃、初代村正の子応永頃に当りますが、応永の村正は初見ですのであくまでも研究材料としてご提供いたします。あくまでも研究材料ですのでご承知ください。ハバキも古いためにちぐはぐが有りますがその分格安にて御提供いたします。 |
店 | 研 | 白鞘 |
売約御礼 | |
刀 | 義光鍛之(孫六兼元写) |
現代 | 67 | 1.7 | 0.72 | 長さ2尺2寸1分 重量鞘を払い1070gr 義光刀匠は現代刀工ですが近年の作品が無く刀匠としての伝来がはっきりと判りませんが、本刀の姿はしっかりとした刀姿で、身幅重ねともしっかりとして、地金は板目肌良く地に現れ力強い地金を鍛え、刃紋は小沸の付いた関孫六兼元写しの互の目尖り刃の三本杉を見事に焼き上手です。拵えも現代の拵えですが鍔が江戸時代のもので古く、虎に竹の図の鉄鍔が高価な鍔で本刀に一層華を添えています。義光刀匠は孫六兼元の見事な三本杉の刃を焼くところから見ると、美濃関にて刀を作っていた刀工と考えられます。義光刀匠にとっては現存作少ないために大変貴重な刀です。今回初めて世の中に生で出たために格安にて御提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 備州長船祐定 天文二十年二月日 |
室町 末期 |
75.8 | 3.3 | 0.82 | 長さ2尺5寸強 天文二十年1551年(464年前)陶隆房が大内義隆を倒した年、上杉謙信と武田信玄が川中島の戦いをする4年前の年鉄砲伝来より8年後のその様な情勢の時の戦国時代真最中の祐定の作です。姿は大変反りが深く長寸で反りの位置は腰反で、元に踏ん張りが有り備前刀の代表的な姿を現し、地金は板目肌を鍛え、刃紋は沸の付いた互の目乱れ刃が、刃先から地に見事な映りを現し、大変覇気の有る名刀です。遠くから見ても如何にも備前の名刀と分る素晴らしい姿をしており、戦国大名の騎馬武者の腰につるす太刀としての特別注文品です。棟には武勲の受け傷が小さく二か所有り戦乱を勝ち抜けた刀として江戸時代には価値ある為我先にと手に入れられた刀です。昭和17年の藤代義雄氏の鑑定書も大変貴重です。古くから知られた刀の代名詞と言われる備州長船祐定をお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 二十七代兼元 昭和五十年六月吉日 |
現代 | 74.3 | 1.9 | 0.76 | 長さ2尺4寸5分 重量鞘を払い1013gr 室町時代永正頃、500年前の現在の岐阜県関市で刀を作っていた、関の三本杉と言われる有名な刃紋を初めて焼いた孫六兼元は誰でもが知っている名工です。 最上大業物として大変良く物切れするので、古来より刀剣名物も有り、人気絶大な刀です、現在も大変大切にされています。本刀は金子孫六家の嫡系、金子達一郎。大正13年1月生まれ。昭和19年二十七代孫六兼元を襲名しました。本刀は身幅やや広く切っ先の延びた堂々たる姿を現し。地金は小板目肌を鍛え地金が強く鍛錬され、刃紋は古調な正しく孫六兼元の三本杉の刃を見事に素晴らしく焼き上げています。本刀は27代目孫六兼元の素晴らしい傑作刀です。現在27代孫六兼元の作品大変少なく貴重です。孫六兼元家27代500年の伝統を脈々と受け継ぐ名刀をお楽しみください。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 濃州関住藤原兼房作 昭和五十五年五月五日吉日(和泉守兼定「之定」写) |
現代 | 75.4 | 1.6 | 0.59 | (兼房二十四代) 長さ2尺4寸8分 重量鞘を払い1017gr 本刀は現在刀剣乱舞で大変有名な、そして斬れ味良く最上大業物として有名な美濃国和泉守兼定(之定)を写した刀です。姿は先反りの付いた反りの深い元身幅と先身幅の差の少ない豪壮な姿を現し、地金は板目肌力強く鍛えられ、二筋樋をきりりと見事に彫り上げ、刃紋は兼定の沸の付いた匂い出来の大のたれ刃に互の目を大胆に交えた刃を焼き刃中砂流しを交え見事です。本名加藤孝雄美濃関住、大正11年生まれ。大相撲横綱の太刀の制作、天皇家のお守り短刀の制作を行い大活躍した名工です。新作名刀展特選はじめ入選多数受賞しています。今回初めて生で世の中に出たために格安にて御提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 助光(希望銘) |
江戸 中期 |
44.6 | 1 | 0.64 | 長さ1尺4寸7分 本脇差は鎌倉時代吉岡一文字助光から始まり、永正まで続く助光とは少々違うようですので、ここではあくまでも希望銘助光としておりて下さい。姿は反りの深いやや先そり心の姿を現し、地金は小板目肌に鍛え美しく、刃紋は表裏揃った互の目乱れ刃を焼き刃中に素晴らしく変化の有る働きを示し明るく良く焼いています。助光の江戸元禄頃の作が有ればその助光でしょうが、現在は一切不明です。江戸期に作られた拵えも本式の拵えで本脇差を一段と華やかに飾っています。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝三原正近(軍刀拵付) |
室町 末期 |
67.9 | 0.8 | 0.62 | 長さ2尺2寸1分 本刀は姿反り浅く優しい姿で、小杢肌に板目肌交じり、柾肌が現われ映り風の所も見られます。刃紋は焼幅せまい匂出来の直刃で大和伝風で、刃中は匂幅のやや広くなったところも有り明るく良く焼けています。本刀は室町時代の450年前の備後現在の広島県の三原で作られた刀です。総称して備後三原と呼んでいます。我が家の代々の名刀を日本国の為に命を懸けて守る為に陸軍将校の軍刀の拵えに誂えられています。昭和20年まで日本には立派な武士がいたことの証明となる貴重な名刀です。後世に大切に伝えなければならない刀です。お楽しみ下さいませ。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝冬廣(古刀) |
室町 末期 |
68.6 | 1.8 | 0.65 | 長さ2尺2寸6分半 相州廣次の子で若州小浜に移住、代々冬廣同銘が小浜に続きます。本刀は大永(1521年)(493年前)頃の冬廣です。姿は反りの深い切っ先の延びたいかにも切れ味良さそうな姿を現し、地金は板目肌に柾肌を交えた冴えた地金を鍛え、乱れ映りが現れ、古いために2か所程エクボが現れていますが、それも御愛嬌です。刃紋は互の目乱れ刃尖り刃を交え美濃伝と相州伝が混ざった刃紋を焼き特徴があります。今回世の中に初めて出たために格安にて ご提供です。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 伝長船家助 |
室町 中期 |
38.2 | 0.8 | 0.62 | 長さ1尺2寸6分 家助は大宮盛景の門人と言われ応永備前(1400年頃)の代表者の一人として有名です。盛光、康光と並ぶ名工です。 本脇差は薙刀直の様な姿で豪壮な姿をしているところから時代がやや下がる明応(1492年)(522年前)頃の家助でしょうか。地金は板目肌良く詰み棒映りが現れ、刃紋は互の目に丁子刃が交じり素晴らしく明るく覇気ある刃を焼いています。江戸時代の脇差拵えも本脇差に一層華を添えています。今回世の中に生で出たために格安でご提供いたします。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 武州住藤原兼助 |
江戸 初期 |
55 | 1.2 | 0.79 | 1尺8寸2分 室町時代永正頃から続く美濃関住兼助が江戸時代に武州江戸に移住。本脇差はその江戸時代寛文頃(1661年)(353年前)の兼助です。時代は虎鉄が江戸で活躍した同時代。本脇差も虎鉄と同じく反りの少ない寛文新刀姿を現し、地金は小板目肌良く詰み、柾目肌が現れ、刃紋は虎鉄と同じく、匂い深い互の目刃の続く数珠刃が見事です。帽子も虎鉄の寛文頃の帽子と同じく深く小丸になり、長曽祢興里入道虎鉄の脇差に大変良く似ています。今回初めて生で世に出たために手入れも必要かと思われますがそれもお楽しみです。虎鉄に似た兼助の名脇差を格安でお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 一秀 |
江戸 末期 |
16.1 | 0 | 0.71 | 羽前、池田清内。水心子正秀の弟子となり、文化二年酒井家に抱えられて、羽前鶴岡住。本短刀はお守り刀と作られて、冠落し造の姿に直刃調のたれ刃を上品に焼き上げています。彫も護摩橋に梵字を上手に彫、江戸期の短刀拵えも一段と本短刀に華を添えています。お楽しみくださいませ。 | 店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 伝末二王 |
室町 末期 |
47.2 | 1 | 0.54 | 長さ1尺5寸5分半 二王は周防国山口県で鎌倉時代より室町時代まで続く大和系統の刀工、二王清綱が火事のとき仁王門の仁王が鎖でまかれていたのを、二王清綱の太刀で鎖を切り助けたとの言い伝えがあり、その後中心に二王の銘を入れたとの有名な故事があります。本脇差を鑑定致しますと誰でもが来国俊に鑑定するものと思います。とにかく素晴らしい脇差です。姿は上品で品位の有る姿を現し、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は淡雪が積もれるような明るい沸出来の刃を見事に焼き上げ見事です。鑑定は天文(1532年)頃の二王の脇差と極められていますが、もっともっと上位の脇差でしょう。名脇差をお楽しみ下さい。 |
保 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 於護摩壇山麓源貞行作之 昭和四十二年八月日 |
現代 | 42.8 | 1 | 0.62 | 長さ1尺4寸1分 本名安達貞楠、明治42年生まれ。全日本刀匠会会員、受賞多数。人間国宝月山貞一と兄弟弟子の大阪川野貞心の二人の門。刀匠名は龍神太郎源貞行として有名です。和歌山県県会議長になった時は必ずこの貞行刀匠の刀が議会から贈呈されていた、名誉の刀匠です。本脇差は貞行刀匠58歳の脂の乗り切った時の脇差です。本脇差は姿豪荘で地金小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目乱れ刃素晴らしく覇気有る刃を焼いています。南紀重国を写して成功しています。現在御子息の安達茂文刀匠が人間国宝月山貞一刀匠の内弟子として修業し立派に後を継いでいます。護摩壇山は地元の和歌山県龍神村に有る名山の名です。 | 店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 伝末大和尻懸 |
室町 末期 |
27.8 | 0.2 | 0.67 | 長さ9寸2分 大和五派、千手院、当麻、尻懸、手 掻、保昌、の則長を祖とする、尻懸 とみられる生無銘の名短刀です。地金は大きく板目目肌が現れ柾目肌が交じり、尻懸肌を現わし、刃紋は中直刃ほつれ刃中素晴らしく良く働いています。拵えも江戸期の短刀拵えが上品で目貫に木瓜花菱の目貫が添えられているところを見ると、同じ大和であるために、大和郡山柳沢家に関係のある武士の持ち物であったかもしれません。大サービス品の名短刀です。お楽しみ下さいませ。 |
貴 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
短刀 | 備州長船清光作 永禄六年二月日 |
室町 末期 |
31.6 | 0.2 | 0.6 | 長さ1尺4分 永禄6年1563年(451年前)時あたかも桶狭間の戦いの後3年後、織田信長が天下布武を唱えて各地で勇ましく戦っている時の、備前長船清光中の名工孫右衛門尉清光の作です。この刀工が清光の中でも特に上手です。本寸延び短刀はほとんど反りが無く平造の短刀姿で、地金は板目肌に鍛えられたこまかな地沸が付き、乱れ映りが現われ、刃紋は沸匂の絡まったのたれ乱れ刃に互の目乱れ刃ちじに乱れ大変覇気有る見事な刃を焼き上げています。帽子も大きく返り見事です。拵えも江戸時代の小さ刀拵え、鞘は青貝微塵塗り鞘で縁金には珊瑚をあしらった粋な拵えとなっています。高禄の武士しか持てなかったであろう豪華な拵えが本短刀に一層華やかさを現しています。清光の名短刀を是非お楽しみくださいませ。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
短刀 | 君万歳兼重 安政一三年十一月吉日 |
江戸 末期 |
25.2 | 0.2 | 0.54 | 長さ8寸3分 本短刀は加賀金府上安江八幡神社の近くに住む、木下甚之丞兼重の作です。甚太郎兼久の子供です。安政4年(1857年)(157年前)の作です。銘の如く天下は幕末に向かい勤皇佐幕の戦いが今にも始まろうとする時、兼重刀匠は天皇を敬う勤皇の志が高く、銘に君万歳と入れたものです。本短刀は珍しい鎬造の短刀で、地金は小板目肌良く詰み、刃紋はのたれ刃に加州兼若の箱乱れを見事に焼き上げています。生出しの為に古研ぎで、研ぎが充分ではありませんが、良い研ぎをしてやって下さい。拵えも当時の出し鮫、出し目貫、黒蝋鞘の豪華な殿中差しの見事な短刀拵えが一層本短刀に華を添えています。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 西原兼正(郷写) |
現代 |
64.2 | 2 | 0.76 | 長さ2尺1寸2分 西原兼正刀匠も昭和の刀工で、戦後復活しなかった為に現存作大変少なく貴重な刀です。本刀もお国の為に命を懸けて守る為に作られた刀でしょう。姿は堂々とした刀姿で、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は兼正刀匠、一世一代自分の個性を現し、郷義弘を写し成功しています。のたれ乱れ刃沸深くあたかも郷義弘とはこの様な刀であるかとの兼正刀匠渾身の力を振って作り上げています。お国の為に命を懸けて守り抜いた貴重な刀を大切にして下さい。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝末関 |
室町 末期 |
68 | 1 | 0.71 | 長さ2尺2寸4分 本刀は450年前の戦国時代の美濃の刀工の刀です。地金は小板目肌良く詰み表には元から棒映りが現れ、鎬には柾目肌を現わし、刃紋は互の目尖り刃素晴らしく覇気ある高い刃を焼いています。戦国乱世をくぐりぬけてきた武勲の刀です。互の目尖り刃は孫六兼元から作られていますが、戦国武将の好みに合ったのでしょう。本刀の様に華やかな尖り互の目刃は大層もてはやされものです。生で出たために棟に錆気も少々有りますが、拵えも所謂江戸期の因州拵えと言われる拵えが一層本刀に華を添えています。戦国時代の美濃の刀を格安でお楽しみ下さい。 |
店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 伝森岡正吉 |
現代 | 69.7 | 1 | 0.64 | 長さ2尺3寸 本国土佐南海太郎朝尊の孫、宮本包則や月山貞一に師事した、森岡正吉の作であろうと思われる刀です。本刀は姿は中切っ先で元身幅と先身幅の差がある刀姿で、地金は小板目肌を良く鍛え無地風に見えて冴えています。刃紋は古調に匂いの深い互の目乱れ刃に良く足が入り素晴らしく古調に明るく焼き上手です。拵えは時代の金具を使って現代の拵えを作っていますがそれが一層本刀に華を添えています。生出しの為に刀らしい刀を大いに格安でお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 浅井敏正鍛之 |
現代 | 63.6 | 1.8 | 0.64 | 長さ2尺1寸 浅井敏正刀匠も昭和の刀工ですが、戦後復活しなかった為に現存作大変少なく貴重な刀です。刀姿は優美で、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は匂い出来の直刃をむら無くきりりと良く焼いています。鎌倉時代の山城来派の来国俊を目指して作刀したものでしょう。戦後復活しておれば名を後世に残した名工でしょう。本刀には現代作の拵えが付き観賞用にも充分楽しめる刀です。貴重な浅井敏正刀匠の刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 当麻(海軍軍刀拵付) |
59.8 | 1.6 | 0.71 | 長さ1尺9寸7分 本脇差は初めて世に出たために、薄錆びが所々ありますが、それも御愛嬌です。当麻の銘も研究して下さい。姿は小太刀の優美な姿で、地金は板目肌を力強く鍛え、刃紋は沸が強い互の目に刃縁に特に金筋が現れ、時代の古そうな脇差です。海軍軍刀は、艦船と共に多くは海に沈んだ為に、現存作が大変少なく、現在は大変貴重になった鮫鞘の付いた海軍軍刀拵えが、本刀に大変華を添えています。お国を命を懸けて守り抜いた武勲の海軍軍刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 一刀斉安綱 二千六百年(軍刀拵付) |
現代 | 68 | 1.8 | 0.83 | 長さ2尺2寸4分 一刀斉安綱刀匠も戦後刀匠として復活しなかった為に、現存作非常に少なく貴重な刀です。本刀は二千六百年の年号を示す通り皇紀二千六百年の記念として昭和15年に作られた刀と言う事が判ります。刀の姿は反り浅く豪壮で、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は孫六兼元創始の三本杉の刃紋がさまでもはっきりとしないところがこの刀の良い所で趣が有ります。本刀は日本の国を命を懸けて守る為に陸軍将校の為に作られた一刀斉安綱の渾身作です。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 播磨大掾藤原忠国作(後代) |
江戸初期 |
54.6 | 1.3 | 0.68 | 長さ1尺8寸 初代忠国は肥前国忠吉の異母弟の橋本相右衛門広貞(吉家)の次男です。いわゆる忠国は五字忠吉の甥にあたります。寛永十一年播磨大掾を受領して忠国と改めます。本脇差は忠国作と作が有りますので時代の下がった後代忠国でしょう。地金小板目肌素晴らしく良く詰み地沸が素晴しく良く付いて、刃紋は得意の互の目の底に肥前刀独特の沸がこごり、素晴しく覇気のある刃を匂深く良く焼いています。肥前刀は忠吉一家はじめ全ての刀工の技量素晴らしく高く。肥前国忠吉が頭領鍛冶として有名ですが本脇差のように腕の良い側近鍛冶が居て初めて、肥前刀の声価を世に一段と上げています。今回生で初めて世に出たために格安でご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 村正 桑山丹俊 |
65 | 1.2 | 0.78 | 長さ2尺1寸5分 妖刀の名で世界的に有名な村正の銘の有る刀です。本刀は地金すこぶる小板目肌詰み刃紋直刃、しかし今回生で出たために長い間軍陣刀の拵えに入ったままの為に錆もあり、曲りも有り良く判らないところも有ります。軍陣刀拵えに入っているところから、先の大戦ではお国を命懸けで守った将校の心の支えとなった刀でしょう。桑山丹俊と言う所持銘が有り本刀の貴重さが判ります。村正は伊勢の刀工、徳川家にあだなす刀ということで、徳川幕府では特に忌み嫌った刀ですが有栖川親王が戊辰戦争の時に東征軍総大将になり、徳川幕府を打ち倒すとの意味を持ち、その時の佩刀が村正の刀であったことは、大変有名なお話です。憧れの人気の村正の銘の入った刀を格安価格でご提供です。お楽しみください。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 室町 末期 |
62.4 | 2 | 0.63 | 加賀陀羅尼勝家天正頃1573年の刀です。勝家は室町初期応永時代より始まり、本刀は良業物として有名な天正頃の勝家です。本刀は家宝の刀に陸軍初期軍刀拵えにしつらえたものです。地金は板目肌良く強く鍛えられ、地模様が素晴らしく古刀の味を充分に表した地金を鍛えています。刃紋は直刃調に互の目尖り刃を交え刃中明るく良く働いています。如何にも物切れする刀です。家宝の刀を軍刀拵えにした軍人の覚悟の心意気が今にも伝わってくる名刀です。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 宝竜子貞秀作 |
現代 | 67.3 | 1.9 | 0.68 | 昭和甲寅年神楽月吉日 (三池典太光世写) 横山貞秀は人間国宝月山貞一と兄弟弟子で、奈良県重要無形文化財喜多貞弘の弟子です。大阪住。本刀は三池典太光世を写した刀です。地金は九州地金ののっぺりとした粘り気の有る地金を鍛え、沸映を現し、刃紋はのたれ乱れ刃を焼き樋を三池典太の樋と言われる、太い樋を見事に掻き流しています。三池典太写しの名刀をお楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 伝相州住秋廣(本阿弥光孫折紙付) |
南北 朝 |
45.2 | 1.3 | 0.54 | 相州住秋廣は九郎三郎。正宗の弟子と言われる初代廣光の子供です。本脇差は身幅広く切っ先の延びた反りの深い優美な姿を現し。地金は板目肌に柾肌が交じり、刃紋は沸出来の大互の目乱れに飛焼きを交え刃中砂流し盛んに現れ素晴らしく覇気有る刃を焼き、帽子は激しいこれぞ火焔帽子と言われる刃を見事に焼き切っています。本阿弥光孫先生昭和8年の折り紙には大判75枚(小判では750両)(現在の価格では3,750万円)と高い評価を付けておられます。生で出てきたところですので、是非良い研ぎをして世に出してやって下さい。 | 店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 清流鏡河畔瑞雲子善貞鍛之 |
現代 | 71.5 | 1.1 | 0.68 | 応川田光城先生需 昭和丙午歳八月吉日 明治33年生まれ。川島忠善門。 山村繁松。土佐鏡村。国工院会員名誉宗匠。元陸軍技術奨励会会長賞受賞。本刀は地金板目肌良く詰み、刃紋互の目丁子刃、逆丁子刃を交え元から先まで良く焼かれ、匂い口明るく、足良く入り、素晴らしく良く出来ています。どうぞお楽しみくださいませ。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 濃州武芸八幡住兼国作(無鑑査)(津田越前守助廣写) |
現代 | 71.3 | 1.6 |
0.78 | 尾川兼国刀匠は本名尾川邦彦。大正14年生。 大坂新刀の横綱。津田越前守助廣写の濤乱刃を現代に見事に再現させ、文化庁長官賞、 日本美術刀剣保存会会長賞、薫山賞の数々の賞を総なめにした現代刀工の代表者です。本刀も津田越前助廣写の姿優美で、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、助廣以上の、匂いの深い濤乱刃をむらなく見事に焼き上げています。有名な兼国の名刀をお楽しみください。 | 店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 兼道(三品派の祖) |
室町 末期 |
69.5 | 1.8 | 0.77 | (伊賀守金道、丹波守吉道、越後守来金道、越中守正俊の父) 兼道は天文24年(1555年)から天正4年(1576年)までの作刀が有ります。武田信玄の抱え鍛冶となり、文禄2年(1596年)4人の子供たちを連れて、二条関白の御供で上京し、西洞院に居を構え三品派の祖です。本刀は地金小板目肌が良く付き、刃紋は互の目刃や尖り刃、矢筈刃を交え大変覇気有る健全な刀です。兼道の刀大変少なく、貴重な刀です。三品派の祖兼道の名刀をお楽しみ下さい。 |
保 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 出雲大掾藤原吉武 |
江戸 初期 |
69.7 | 0.6 |
0.75 | 業物 堀川国廣門堀川国武の子、三条吉則の末裔。延宝1673年頃山城の刀工です。後に江戸へ移住。本刀は姿堂々と、地金は小板目肌よく詰み杢肌が交じり、刃紋は小沸出来の志津写の豪快な乱れ刃を素晴らしく明るく焼きいれております。あたかも堀川国廣に見間違うほどの素晴らしい名刀です。拵えも江戸期の縁頭目貫に稲穂の図の金具が付いた拵えが本刀を一段と華やかに飾っています。良く切れることで有名な吉武の名品をお楽しみくださいませ。 |
特 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 伝古一文字(平安から鎌倉初期)(網屋小倉惣右衛門家重代) |
平安 末期 |
71.9 | 2.5 | 0.59 | 本太刀は生の太刀で、古一文字と極められた平安から鎌倉初期の太刀で約900年近く前に作られた貴重な太刀です。姿は優美な太刀姿で品位が高く、地金は細かく小杢目肌に大肌が交じり、地斑映りが現れ、刃紋は腰刃を焼いているのが古一文字と極める点で、直調で小丁子乱れで刃中金筋が現れ良く働いて古一文字の特徴を良く現しています。日本一の刀屋と言われた、網屋小倉惣右衛門家の門外不出の重代の名刀です。お楽しみ下さいませ。 | 特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 伝武州江戸越前康継(初代) |
江戸 初期 |
33.9 | 0.4 | 0.5 | 康継は家康の三男結城秀康に越前にて抱えられ、慶長十年江戸に召され家康、秀忠両将軍の前で鍛刀し、激賞され褒美として葵紋と康の一字を賜り康継と改めた。徳川将軍家お抱え刀匠越前康継は江戸時代の最上作の名刀です。本脇差は片切刃造で地金は越前地金の板目肌に柾目肌が交じり力強い地金を鍛え、刃紋は互の目乱れ刃ちじに乱れ刃中大変働きのある刃を焼いています。彫も独特の越前彫が見事です。拵えも江戸期の三所は赤銅魚子地菊桐紋、目貫は金無垢菊桐目貫、縁頭鯉口、こじり、返り角の金具は赤銅魚子地桐紋と最高の拵えになっています。大名道具の一つです。 | 店 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 河内守国助(中河内) |
江戸 初期 |
75.7 | 1 |
0.84 | 河内守国助は大坂新刀の代表刀工として余りにも有名な名工です。中河内と尊称され又その華麗な刃紋から新刀一文字とも呼ばれています。本刀は小板目良く詰み細かな杢目をまじえ強い地金をしており。大坂焼きだしの直刃細く焼き出彼が始めて考案した拳形丁子を激しく交えにえ匂い素晴らしく良く付き素晴らしく覇気ある名刀となっております。大阪は二代目が名工揃いで助廣の濤乱刃、真改の直刃、中河内の拳型丁子刃の当時大坂新刀が全国に大人気で、日本全国に一世風靡したことはあまりにも有名です。 | 特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 肥前國陸奥守忠吉(三代陸奥守忠吉)(幻の名刀) |
江戸 初期 |
70 | 1.6 | 0.72 | 最上大業物 肥前国陸奥守忠吉は製作本数大変少なく幻の名刀と言われています。江戸では虎鉄が活躍し、大阪では助廣、真改の両横綱が活躍しており、肥前ではこの陸奥守忠吉が活躍し、江戸時代の刀の黄金期を迎えています。ただこの陸奥守忠吉は父、近江大掾忠廣の代作をしていたためと、天才刀工で有るがゆえに、鍛刀数が非常に少ないため昔から幻の名刀と言われています。本刀も豪壮で地金素晴らしくよく詰み、刃紋は備前福岡一文字の刃を明るくむらなく豪快に焼き上げいます。三代陸奥の丁子刃は大変少なく又どれをとっても名刀ばかりです。幻の名刀をお楽しみくださいませ。 |
特 | ☆ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 造大慶直胤(花押)(棟に銘・玉追い龍彫) |
江戸 末期 |
21.7 | 0 | 1.38 | (備前長船景光写) 新々刀の巨人大慶直胤の特別注文品の重ねの厚い鎧通の短刀です。本短刀は銘振から天保三年頃大慶直胤57才位の名作が多く生まれた時のものです。重ねの厚い鎧通しの姿で、地金は板目肌に元の刃寄りに渦巻状の独特の肌を現し。刃紋は匂い出来の互の目を元から先まで見事に焼き上げいます。どのようにして彫をしたか判らない大変技術のいる、棟に本庄義胤の手による素晴らしい櫃内の真の玉追い龍を見事に彫り上げています。大変珍しい特別注文品の棟に彫をした大慶直胤の名品をお楽しみ下さいませ。 |
丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 兼元(孫六兼元)(来国俊写)(最上大業物) |
室町 末期 |
69.3 | 1.5 | 0.61 | 最上大業物 兼元は末関鍛冶を代表する名工です。本刀は孫六兼元の有名な来国俊写しの名品ですが、刀としては来国俊写しはこれ1本と思われ大変貴重な刀です。姿は反が浅く重ねが心持薄目になり、平肉がつかず、地金は小板目肌に柾目が交じって明るくさえ、地沸みじんにつき、乱れうつりが鎬から立ち、大変古い鎌倉時代の地金を鍛え成功しています。刃紋は直刃を上品に上手に焼き上げ、銘は大きくて勢いがあり、角張った直線的な典型的な銘を切って孫六兼元の典型的な銘となっております。お楽しみ下さい。 |
特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 備前国住長船与三左衛門尉祐定作 永正十六年八月吉日 |
室町 末期 |
69.6 | 1.8 | 0.78 | 末備前の代表刀工の与三左衛門尉祐定の素晴らしい名刀です。姿豪壮で鎬から棟に掛けて身を薄くする戦国時代に流行った利刀造りで小板目肌良く詰み、腰の開いた刃紋蟹の爪を現す祐定の代表的刃紋となっております。銘振りも馬与と一与に区別されますが、代表的な馬与銘となり本刀は戦国大名の現存作が非常に少ない与三左衛門尉祐定の注文打ちの傑作刀です。江戸時代の素晴らしい拵えが一段と華を添えております。与三左衛門尉祐定の名品をお楽しみください。 | 保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 相州住廣次作(鮫鞘拵付) |
室町 中期 |
66.9 | 2.8 |
0.93 | 憧れの相州正宗、貞宗、に続く相州住廣次は南北朝期から続く有名な相州鍛冶です。本刀は室町中期文明頃(1469年)(545年前)の廣次です。姿は反りの深い腰反りで元と先の幅の差があり、重ねはすこぶる厚く頑丈な刀姿です。元々は騎馬用の太刀として作られたものでしょうか。地金は相州伝独特の板目肌で鍛え、刃紋は互の目刃に地に向けて尖った刃を交え大変覇気有る刃を焼いています。本刀には江戸期の大変豪華な大粒の鮫鞘の付いた貴重な拵えが一層華やかに飾っています。刀剣愛好者には相州刀工を憧れの刀としています。一度は持ちたい相州鍛冶の刀。是非憧れの相州鍛冶の廣次の名刀をお楽しみ下さいませ。 | 丸 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 三池住国光作之(源清麿写)(革包鬼丸拵付) |
現代 |
77.6 | 1.8 |
0.68 | 本名小宮陽気光、福岡県大牟田市住。昭和の大業物の刀を鍛えて有名な小宮四郎国光の長男として生まれました。小宮一族は刀匠一家で、父国光、長男国忠、次男安光、三男国光と言う名匠揃いです。本刀は源清麿を写した豪壮な切っ先の延びた姿に、地金は板目肌力強く鍛え、刃紋は互の目乱れ刃に大変良く足の入った強靭な刃を焼き上げ、源清麿に迫るものがあります。彫は表に毘沙門剣に蓮台、裏に棒樋に護摩箸を見事に彫り上げています。拵えは現代では手間が掛かり過ぎて出来ないであろうと言われた、革包の鬼丸拵を見事に再現して本刀に一層の価値を高めています。お楽しみ下さい。 | 店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 古宇多(鎌倉末期) |
鎌倉 末期 |
69.2 | 1.8 | 0.73 | 本国大和、大和国宇多郡(奈良)より越中(富山)に移住。本刀は鎌倉末期の古宇多と鑑定された刀です。地金は小杢目肌に柾目肌が交じり、全体に乱れ映りを現し刀の時代の古さを表現しています。刃紋は沸本位互の目乱れ刃、丁子の足が入り、刃中大変良く働き、金筋を沢山現し、金筋を見たい方の見本のような刃を雄渾に現し、刃区近くの刃に見事な螺旋の金筋状の働きを現し、あたかも相伝備前長船長義一派の刀に紛れます。彫は相州伝を現した、二筋樋を中心まですりあげの為に彫下げ、時代の息吹を感じます。鎌倉時代の古宇多と極められた大変大変時代の古い名刀をお楽しみ下さいませ。 | 特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 武士道肥後国八代住赤松太郎兼裕作 以自家製鉄鍛之 |
現代 | 74.6 | 1.7 | 0.71 | 癸巳年七月吉日 重量鞘を払い1,070g、互の目丁子刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 丹波笹山住啓介作(志津写) |
現代 |
78.6 | 2.1 | 0.75 | 平成十八年十二月吉日 本名藤井啓介昭和35年生まれ、現在54歳。大学を卒業後、昔からの刀鍛冶に成る夢をあきらめきれず、23歳で27代孫六兼元の弟子となり、33歳で鍛錬所を開設現在は兵庫県篠山市今田にて鍛錬に励む日々を送っています。本刀は南北朝期正宗十哲の志津兼氏写しの名刀です。元幅と先幅の差の無い姿に切っ先の延びた豪壮な姿を現し、地は蛤刃の見本となる刃肉を付けたふっくらとした肉取りをし、地金はうっとりとした小板目肌良く詰み柾目肌を交え、刃紋は覇気有る互の目乱れ刃を焼き、志津三郎兼氏を見事に表し技量の高さを現しています。中々市場には出てこない貴重な藤井啓介刀匠渾身の脂の乗り切った名刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 武士道肥後国八代住赤松太郎兼裕作 以自家製鉄鍛之 |
現代 | 73.4 | 1.7 | 0.7 | 癸巳年九月吉日 重量鞘を払い989g、互の目丁子刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 作州住絹田延重 |
現代 | 74.2 | 2.4 | 0.76 | 明治三年二月日(1870年) 作州勝山臣延重と銘のある刀が知られていますので、勝山藩の武士であった事が判ります。本刀は元身幅と先身幅の差の少ない豪壮な姿を現し、地金は板目肌素晴らしく良く詰み、力強い地金を鍛え、刃紋は匂い出来の備前伝互の目丁子刃を見事に焼き上げ、上品な足を入れ素晴らしい刃を焼き上げています。この様な素晴らしい豪壮な刀を見ますと、延重刀匠が武士の手慰みで作った刀ではなく、本格的に修業し明治の廃刀令が無ければ将来が大成した楽しみな刀工であった事が、本刀で立派に証明されています。もう少し早ければ源清麿の様な名工となった事でしょう。今となっては貴重な延重刀匠の刀をお楽しみ下さいませ。 | 丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 筑後住国治作 平成十九年三月吉日 |
現代 | 74.2 | 1.5 | 0.65 | 重量鞘を払い974gr 昭和4年生。本名小宮国治福岡県大牟田市住、小宮四郎国光門。全日本刀匠会会員。大日本刀匠会銀杯受賞その他数々の賞を受賞。本刀は身幅広く切っ先の延びた豪壮な姿を現し、地金は小杢目肌良く詰み、力強い地金を鍛え覇気が有ります。刃紋は互の目に互の目の足が良く入り見事です。互の目の足を入れるのは焼き入れが大変難しく見事な刃紋を現し素晴らしい名刀となっています。現代の拵えですが本刀に一層華を添えています小宮四郎国治 刀匠の名刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝細川正守 |
江戸 末期 |
72.1 | 2 | 0.76 | 1054gr 本刀は姿は南北朝の大太刀をすりあげた、元身幅と先身幅の差の無い切っ先の延びた豪壮な姿を現し。地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、素晴らしく強い鍛えをしています。刃紋は沸の付いた互の目乱れ刃を大胆に明るく焼き上げ帽子も乱れ込んでいます。作陽幕下士細川正守は細川正義の孫となる刀匠で津山松平家の藩工です。幕末の江戸で大活躍をしています。本刀についている鉄金具拵えも有り難いものです。格安でお楽しみくださいませ。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 室町 末期 |
68.6 | 1.8 | 0.64 | 本刀は永禄頃、約453年前織田信長が京に入った時分に作られた、名工備前長船祐定の典型作です。寸法を短くしたために定の字が切られて有りませんが、身幅頃合いで、重ね厚く、切っ先やや長く、反りの付いた姿に、地金板目肌、所々に映りを現し、刃紋は互の目乱れ刃変化を持たせ焼き非常に覇気の有る焼きを入れています。祐定の刀は大変良く斬れた刀で古来有名でした。本刀も名の有る武将の持ち物で有ったと想像されます。拵えもやや古くなっていますが、立派な拵えが、本刀を一層華やかにしています。戦国時代の花の有る備前長船祐定の名刀をお楽しみ下さい。 | 店 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | ||
刀 | 江戸 末期 |
66.5 | 1.45 | 0.64 | 源正氏は長州萩住石道藤原正守、七兵衛の一族で六兵衛と名乗りました、享保(1717年頃)の刀工で後吉田松陰で有名な長州萩の刀工です。本刀は特別注文品で中心が大変長くこの様な刀は柄を長く作り、薙刀の様に使うのに便利で、長州藩士の武士の特別注文品と言う事が判ります。石堂派は備前伝が家伝です、本刀も備前伝地金は小板目に明るく鍛え、刃紋は備前伝匂い本位の互の目をむら無く見事に焼き上げています。保存刀剣では中心が長いので新々刀としていますがあくまでも本刀は時代が上がる新刀で長州藩士の武士の自己の武術鍛錬上の特別注文品の名刀です。大変貴重な源正氏の名品をお楽しみ下さい。 | 保 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 江戸 末期 |
66.5 | 1.45 | 0.64 | 源正氏は長州萩住石道藤原正守、七兵衛の一族で六兵衛と名乗りました、享保(1717年頃)の刀工で後吉田松陰で有名な長州萩の刀工です。本刀は特別注文品で中心が大変長くこの様な刀は柄を長く作り、薙刀の様に使うのに便利で、長州藩士の武士の特別注文品と言う事が判ります。石堂派は備前伝が家伝です、本刀も備前伝地金は小板目に明るく鍛え、刃紋は備前伝匂い本位の互の目をむら無く見事に焼き上げています。保存刀剣では中心が長いので新々刀としていますがあくまでも本刀は時代が上がる新刀で長州藩士の武士の自己の武術鍛錬上の特別注文品の名刀です。大変貴重な源正氏の名品をお楽しみ下さい。 | 保 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 江戸 末期 |
70.8 | 1.3 | 0.61 | 鞘を払い770gr 本刀は言い伝えでは、昔居合の巨匠であり名人であった中山博道先生から譲られたと言い伝えの有る刀です。長年蔵に仕舞っていたために少々錆が有りますが、調子の素晴らしく良い刀です。姿は優しく元身幅と先身幅の差が有る調子の良い姿を現し。地金は良くは見えませんが小板目肌素晴らしく良く詰み、素晴らしく強い鍛えをしています。刃紋は匂い出来の互の目刃を規則正しく明るく焼き上げ帽子も小丸に焼いて上手です。作陽幕下士細川正守は細川正義の孫となる刀匠で津山松平家の藩工です。幕末の江戸で大活躍をしています。本刀についている拵えも簡素ですが有り難いものです。格安でお楽しみくださいませ。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | ||
短刀 | 黒川洸氏為家内守護謹作 康宏(小林康宏) |
現代 | 22.8 | 0 | 0.67 | (孤高の刀匠 小林康宏)(斬鉄剣) 昭和庚申年元旦 小林康宏刀匠は大正3年生まれ、東京高輪に鍛錬所を創設。応永以前の古刀を再現するために現代刀工の革命家としても有名です。芯金を入れずに鍛える古法に基ずく丸鍛えで鍛え、康宏刀匠の刀には古刀の働きである金筋や稲妻の働きはあたりまえと言われ、また康宏刀匠の刀は、切れ味が良く鉄が切れる斬鉄剣としてもあまりにも有名です。本短刀も相州廣光や秋廣を狙った作で南北朝期の身幅の広い姿に、地金は板目肌に地景を交え、棟に飛び焼きを焼き、古い地金を再現し、刃紋はのたれ刃に互の目を交え、刃中至る所に力強い金筋を交え帽子は炎の様なはきかけた帽子を焼き大変覇気有る刃を見事に焼き上げ、相州上工の短刀に見える見事な短刀を作り上げています。有名刀工ですが作品少なく大変貴重な康宏刀工の名短刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 大和大掾藤原正則 |
江戸 初期 |
53.1 | 1.2 | 0.64 | 大和大掾正則は山城三条吉則の末葉で本国は丹後国宮津、後に越前福井に移り住んだと伝えられています。初代越前康継と同時代又は先輩鍛冶とされています。本刀は姿豪壮で身幅広く、板目肌所々流れ、鍛え肌が大変良く判り地景が 入り、鍛え肌を勉強する標本です。刃紋はのたれ乱れ刃の大変覇気有る刃を豪快に焼き上げています。拵えも今では出来ない高価な変り塗鞘に鉄金具付の拵えも本脇差に一段と華を添えています。慶長新刀大和大掾藤原正則の貴重な脇差をお楽しみ下さいませ。 | 保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
太刀 | 尾嵜長門介天龍子正隆 | 江戸 末期 |
71 | 2 | 0.73 | 尾崎助隆の孫。千種有功卿の相手鍛冶大坂住、後に京都に移住。本刀は地金小板目肌素晴しく良く詰み、刃紋は菊花丁子刃を素晴しく見事に焼き上げています。安政三年1856年大坂に於いて試し切りをして本刀の素晴しい切れ味を証明致しております。正隆の快心作をお楽しみください。 | 丸 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 小林伊勢守国輝 | 江戸 初期 |
71.5 | 1.8 |
0.8 | 寛文十二年八月日 初代河内守国助の門人となり素晴らしい技を認められて後娘婿となり別家を創設しました。初代国助には2代国助、肥後守国康、小林伊勢守国輝と名工揃いの弟子がおり大坂新刀の基を築きました。本刀は寛文12年(1672年)の作です。姿優美で小板目肌良く詰み美しく刃紋は河内守国助伝統の備前伝互の目丁子刃を華やかに見事に焼き上げ国輝の真価を発揮した代表作品です。 |
甲 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 肥後守国康(大坂新刀)(大業物) | 江戸 初期 |
71.3 | 1.5 |
0.77 | 大業物で有名な肥後守国康は初代河内守国助の子供で二代河内守国助の弟になります。本刀は板目肌良く詰み刃紋は互の目丁子刃に尖り刃を交え、刃中明るく冴えた刃を焼いています。拵は江戸期の黒蝋鞘に、鍔は鉄地菊透かし鍔、縁頭は鉄地に御目出度いアワビの図、目貫は銅地に金の三ヶ月の図をあしらって堅実な拵えになっています、大業物の堅実な大変楽しめる刀となっております。是非お楽しみくださいませ。 | 店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
太刀 | 伝和気(和気重助)(鎌倉末期) | 鎌倉 末期 |
68.3 | 2.4 |
0.74 | 鎌倉末期嘉暦頃(1326年)(687年前) 備前和気荘に重助、氏依と言う名工が居ました。本太刀は生無銘の太刀で中心は振袖中心で大変優雅で古く、元に踏ん張りが有り、腰反り高く鎌倉時代の典型的な太刀姿で地金は小板目肌が詰んで乱れ映りが立ち、刃紋は直刃調に小乱れ、小丁子を焼いて上品です。備前で有りながら京の来の刀に見える様な刀を鍛えるのが備前和気の最大特徴です。大変貴重な備前和気と極めれれた素晴らしい太刀をお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 兼元(最上大業物)(冠落造) | 室町 末期 |
32.7 | 1.1 | 0.64 | 孫六兼元は刀の知らない人でも孫六兼元の名は天下に余りにも有名です。兼元と称する刀工は何人かあり本刀は安土桃山時代の兼元として余りにも刀剣界で有名な名刀です、現存品非常に少なく、姿は冠落造の特殊な姿で家伝の三本杉を見事に焼いて覇気が有ります。江戸時代の拵えも山金一作の小さ刀拵え鞘は漆刷毛目塗が格調高く素晴らしく上手で特別注文品として名刀に花を添えています。お楽しみ下さいませ。 |
保 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
短刀 | 菅原包則謹地鍛 一の玉(帝室技芸員 宮本包則) | 現代 | 23.6 | 0 | 0.58 | 明治二十四年四月日 宮本志賀彦。備前長船横山祐包門。明治39年月山貞一と共に帝室技芸員(人間国宝)に指定されました。本短刀は姿はサスガ姿という独特な短刀姿に作り、地金は一の玉と添え銘のあるように小板目肌を見事に鍛え最高の地金を鍛えています。刃紋はのたれ刃に矢筈刃を交え奔放な刃を焼き、包則の真骨頂を現した名短刀です。当時製作の出し鮫合口拵えも大変貴重なものです。 宮本包則の名短刀をお楽しみくださいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 加州行光 | 室町 初期 |
67.3 | 2.2 | 0.74 | (業物) 銘が有りそうですが、不鮮明の為に典型的な片削風の入山形の中心の形から加州行光と極められた文明(1469年)頃の太刀です。先祖は藤島友重の次男が藤島行光で真景の門人になり、行光が代々続いています。本刀は業物で名高い4代目の行光でしょう。姿反り深く太刀姿美しく、地金は板目に柾が交じり、地沸が付き匂出来の互の目に足が良く入り、良く出来ています。業物の加州行光太刀をお楽しみ下さい。 |
保 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 現代 | 63.8 | 1.6 | 0.8 | 国俊刀匠は人間国宝宮入昭平と同門で山口県岩国の出身です。本刀は南北朝の備中青江鍛冶を写した丁字刃に逆丁字を交え素晴らしく覇気のある名刀を打ち上げております。国俊刀匠の刀の鍛錬数大変少なく大変貴重な刀です。拵えも古式にのっとり立派な拵えが添えられています。本刀はアメリカに渡っていた刀との事で大切にされ今回出品となりました。アメリカからの里帰りの刀を是非大切に保存愛護してやってください。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 濃州住村山兼俊作 | 現代 | 66.2 | 1.5 | 0.86 | 本名村山喜之一.国工院会員。名誉宗匠 元陸軍受命刀匠。明治36年生。本刀は板目肌良く現れ、力強い地金を鍛え覇気が有り地景も交え。刃紋は小互の目に尖り刃も交じり刃中金筋を現し刃が明るく良く出来ています。兼俊刀匠も戦後の作品が無く、本来ならば日本を背負って立つ刀匠になっていたものと思われます。現代の拵えもお金のかかった立派で大変楽しみな拵えです。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 越前国兼法 | 江戸 初期 |
44 | 0.9 | 0.63 | 兼法は孫六兼元と同じく赤坂千手院系の鍛冶で、本脇差は慶長時代(1600年頃)の最も上手とされる越前国兼法です。江州下坂より越前に移り、二代兼法の弟子となり後養子となりました。肥後大掾を受領。本脇差は切っ先延び心で、地金は小板目肌に杢交じり、地沸が付いて、地景が現れ、刃紋は小沸出来で浅くのたれて、尖互の目が交じり素晴らしく良く出来ています。拵えも江戸時代の鍔は赤銅地、縁頭は赤銅魚子地龍の高彫、目貫は赤銅地天龍の図、小柄裏金含、唐獅子牡丹の据紋が一段と本脇差を飾っています。兼法の中で一番上手と言われる慶長新刀の薫り高い兼法の素晴らしい脇差をお楽しみください。 | 店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
脇差 | 菊紋 伊賀守藤原金道(二代)(業物) | 江戸 初期 |
51.5 | 1 | 0.74 | 名門山城伊賀守金道家二代、三品勘兵衛、初代金道の長男。寛永14年9月16日伊賀守受領。金道家は禁裏御用を承り。関ヶ原合戦の直前徳川家康より太刀千腰の注文を受けた際、在京の鍛冶を金道の支配下に入れる事を条件に注文を引き受け、戦後家康の取次にて日本鍛冶惣匠の勅許を受けました。本脇差も切っ先が延び身幅の広い豪壮な姿で地金は板目が流れて柾が交じり刃紋は互の目乱れ刃、刃中砂流し現れ、帽子は典型的な三品帽子を現し全てにおいて鍛冶の頭領としての価値を現しています。お楽しみ下さい。 | 保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 江戸 中期 |
64.4 | 1.1 | 0.73 | 越前下坂鍛冶の頭領は越前康継が有名です。虎鉄も一時は越前で播磨守清光に付いて刀鍛冶の修行をしております。本刀は珍品中の珍品元禄(1688年)頃越前下坂綱長の貴重な刀です。地金は小板目肌に柾目が交じり、刃紋は互の目尖り刃を上手に焼き覇気が有ります。片手抜き打ちに適した寸法で打ち上げており、名だたる武将の特別注文品でしょう。綱長の現存刀を初めて拝見しました。お楽しみ下さいませ。 | 店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 伝越後守包貞 | 江戸 初期 |
70.1 | 1.5 | 0.66 | 本刀は大坂新刀の一流刀工として有名です。本越後守包貞の刀は姿は反りやや浅くそして力強い姿を現しています。地金は小板目肌むらなく良く詰み、地沸厚く冴えます。刃紋は初期の津田越前守助廣の濤乱刃の大互の目乱れ刃で覇気が有り、大変砂流し等働きがあり刃中明るく良く出来ています。金筋も現れて越後守包貞の傑作品です。拵えも鉄地に菊花模様を彫った一作金具、鍔は草花を彫り、目貫は赤銅水仙の図が一層本刀を華やかに飾っています。 | 丸 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 武州下原住山本内記康重 | 江戸 初期 |
71.2 | 1.2 | 0.76 | 本刀は万治頃江戸八王寺に住む下原山本内記康重の刀です。古来より、下原鍛冶は九州肥後同田貫派の刀や、豊後高田鍛冶の様に、業物の刀を鍛え、戦国武将に実用刀として大変愛用されていました。本刀は豪壮な刀姿に地金板目肌強く鍛えられ、澄鉄も現れ、刃紋は小沸出来の直刃を焼いています。刃中に働きを交え相州伝を現しています。相州綱廣とも交流があったことが本刀にも表れています。多少の鍛え肌が大きく現れるのは、焼き入れ温度が相州伝の為に高い為と思われます。お楽しみ下さいませ。 |
保 | 〇 | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 末手掻 | 室町 末期 |
26.8 | 0 | 0.67 | 鎌倉時代の大和手掻包永の一属が室町時代まで続きます、本短刀も元々生無銘の手掻包永の一派の名短刀です。板目に柾肌が現われ、刃紋直ぐ刃に二重刃が交じり金筋を現し大和伝の掟を充分に表しています。時代は1532年天文頃の堂々とした名短刀です。拵えは江戸時代の御祝に差された江戸期の海老鞘拵えが一層本短刀に華を添えて、価値を高めています。お楽しみください。 | 保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 濃州関住人小島兼則謹作(孫六兼元写) | 現代 |
66.3 | 1.8 | 0.77 | 本名小島太郎。関の代表刀工小島兼道の弟。明治40年生まれ、元陸軍受命刀工。戦後新作名刀展に出品多数。多数の賞を受ける名工です。本刀は小島兼則謹作と入れるだけあって大変入念に作った刀です。小杢目肌素晴らしく良く詰まり良く鍛錬され、刃紋は関の孫六兼元写の互の目に尖り刃の頭を複式焼き大変意欲的な作を打ち上げています。今は亡き名工兼則刀匠の名作をお楽しみくださいませ。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 関住兼則作(孫六兼元写) | 現代 |
68.2 | 1.8 | 0.67 | 昭和十九年三月 本名小島太郎。関の代表刀工小島兼道の弟。明治40年生まれ、元陸軍受命刀工。戦後新作名刀展に出品多数。多数の賞を受ける名工です。本刀はお国の為に大変貢献した刀です。終戦の1年前に作られた緊張感ある貴重な刀です。小杢目肌素晴らしく良く詰まり良く鍛錬され、刃紋は関の孫六兼元写の互の目に尖り刃を焼き大変な意欲的な作を打ち上げています。今は亡き名工兼則刀匠の名作をお楽しみくださいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 現代 | 65.1 | 1.5 | 0.64 | 仙台市弓ノ町住。本名菅野弁治。昭和35年没。本刀は姿は元幅と先幅の差が少なく切っ先の延びた豪壮な姿を現し、地金は元から先まで綾杉肌を見事に鍛え上げて上手です。刃紋は中直刃を匂出来に見事に焼き上げています。正廣刀匠の先祖は陸奥舞草だったのでしょうか、又は奥州月山だったのでしょうか、綾杉肌の鍛錬方法は古法でどの刀匠でも出来るものでなく正廣刀匠の歴史を知りたくなります。是非研究してやって下さい。長年放置されていたために錆気が有りますので、是非研ぎをしてよみがえらせて下さい。格安価格でご提供いたします。 | 店 | △ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
脇差 | 金高作 | 室町 中期 |
37.1 | 0.6 | 0.7 | 文禄頃(1592年)421年前美濃現在の岐阜に金高と名乗る名工がおり、豊後守藤原金高作と銘を切っていました。本脇差は特別注文品で、薙刀を直したような菖蒲造、元に薙刀樋を太く掻き身幅広く豪壮な姿で、地金は板目肌に杢目が交じり、地沸が付き。刃紋は直刃に一か所互の目尖り刃を現しています。戦塵納まらぬ時代大いに気をはき名刀を作っておりました。素晴らしく良く切れるのが美濃刀工に最大特徴となっております。金高の名も縁起良く好ましい脇差をお楽しみ下さいませ。 | 保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 月山(室町中期・綾杉肌) | 室町 中期 |
23.4 | 0 | 0.57 | 日本刀の草早期から始まる刀の1本として奥州月山は余りにも有名です。本短刀は時代は永正頃(1500年頃)出羽(山形県)の月山を中心として月山鍛冶が隆盛の極みを謳歌していた時の貴重な短刀です。時代がかわり、時代とともに、本州の刀に押され消耗も加わり極めて少なくなってまいりました。本短刀は典型的な月山独特の綾杉肌を現しすこぶる優品で貴重な短刀です。幕末奥州月山の末裔が水心子正秀の弟子となり大阪月山の元を作った月山貞吉、月山貞一、月山貞勝、月山貞一、月山貞利、月山貞伸六代の基となる貴重な短刀を是非お楽しみください。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 室町 末期 |
76.6 | 1.7 | 0.66 | 永禄頃(1558年頃)越中の宇多の刀です。姿は長寸で堂々とした姿を現し、馬上の侍大将以上の注文の刀です。地金は板目肌に柾目肌交じり、地に白気映りが現われ、地金、所どころ荒くなり刃紋は互の目乱れ刃、ちじに乱れています。この様な刀は大変物切れする刀で、古来戦場で大いに活躍したものと思われます。北国の刀は寒さのために折れる事に一番気をつかい製作され、非常に粘り気ある地金を作り出しており、戦国時代越後上杉謙信が大変重宝した宇多の名刀を大いにお楽しみくださいませ。 | 貴 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
太刀 | 安綱(希望銘) | 不明 | 61.8 | 2.3 | 0.61 | 永延(987年)(1026年前)初期日本刀の製作者の一人、伯耆安綱は国宝童子切り安綱の作者として余りにも有名です。本太刀は鳥取池田家の旧蔵品と言われておりますが判りません。昔から大名登録と言われる鳥取県の昭和26年3月登録、番号991番からすれば、旧蔵品かも知れません。鳥取にはお国物の安綱の太刀が一本位はなくてはならないとの事で、古来安綱として伝わったのかもしれません。本太刀は元の踏ん張り強く、反り深く地金は板目肌荒く、刃紋は互の目乱れちじに乱れ古調です。銘も中心が痛んでおり良く判りませんが、古く雅味有る銘を切っておりますが、あくまでも希望銘として下さい。大変古い太刀ですがあくまでもお遊びお楽しみとして下さい。 | 店 | 希 | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 現代 | 69.2 | 1.3 | 0.72 | 昭和四十七年五月日(62歳の作) 重量842gr 寿王は本名柳川昌喜、明治43年生、埼玉県狭山市。幕末の巨匠大慶直胤の末葉4代目に当たる刀工です。初銘は直弘で晩年に寿王と名乗りました。本刀は地金小板目肌素晴らしく良く詰み明るい冴えた地金を鍛えています。切っ先に所々使った為の錆が有りますがこれも御愛嬌です。刃紋は互の目丁子刃細かく良く足が入り働きがあり上手です。本刀は時代が古く見える刃紋を大変上手に焼き上げています。備前伝の巨匠と知られる大慶直胤の末と言われるだけあって負けない名刀を作り上げています。寿王の作品大変少なく貴重な作品です。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 現代 | 67 | 1.4 | 0.78 | 徳島県小松島市、小島浩の父。幻の刀工です。戦争中の陸軍試し切り試験で切れ味第一位を受賞。玄武斉の刀は素晴らしく良く斬れるとの評判でしたが、現存作殆ど無く、本刀は貴重な刀です。戦後は子供の清心子貞寿が代作で、清心子長寿銘で作品を残していますが、玄武斉銘の刀は皆無です。本刀は姿豪壮で重が厚く、地金は板目肌良く詰み、刃紋はのたれ乱れ刃に互の目を交え飛び焼きも有り、大変覇気有る刃を焼いています。玄武斉の名は有名ですが現存作が殆ど無い本刀をお楽しみ下さいませ。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
脇差 | 江戸 末期 |
45.2 | 0.6 | 0.65 | 文政三年卯二月日(1820年) 波平家直系六十一代目。波平行虎の長男で本名橋口四郎右衛門。初銘行高。後波平惣領家の名跡の行安を名乗り、後に行周を名乗ります。薩摩波平鍛冶の総帥です。本脇差は最晩年の貴重な脇差となっています。本脇差は姿豪壮で如何にも薩摩の刀という姿で、地金は小板目肌が良く詰んで、地沸が着き、刃紋はのたれ乱れ刃に互の目の足が入り、沸、匂が深く井上真改の刀を見る様な素晴らしい脇差です。有名な薩摩波平の名脇差をお楽しみ下さいませ。 |
丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 伝波平 | 室町 初期 |
66.1 | 2.4 | 0.73 | 南北朝時代の後醍醐天皇の楠正成と共に寵臣である名和長年の末流。本刀は名和顕孝(なわあきたか)官途は左兵衛尉、肥後宇土城主の大変貴重な所持者銘のある刀です。後太閤秀吉の時代に小早川隆景に属しました。元寇の際の記録として有名な「蒙古襲来絵詞」を所蔵していました。本刀は太勝誉の銘がある如く、従軍し素晴らしい大勝利の戦勝記念の誉れを中心に記しています。刀は大すりあげ無銘ですので、当時の織田信長の抱え鍛冶であった若狭守氏房あたりであろう刀で、先反りの強い元は2尺5寸以上あった豪壮な刀です、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は如何にも物切れする大のたれ刃が如何にも戦国武将好みと思われます。拵えは古いために大変痛んでいますが貴重です、宇都城主名和顕孝の貴重な刀をお楽しみ下さい。 | 貴 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 国守(花押) | 江戸 中期 |
70.4 | 2.1 | 0.79 | 本刀は美濃関の新刀鍛冶大和守藤原国守元禄頃(1700年)の刀です。本刀は姿美しく優美な姿を現し、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は匂いできりりと締った互の目刃を元から先までむら無く見事に焼き上げています。このような刀を拝見しますと、国守刀工の腕の素晴らしさが良く判る名刀です。国守花押だけで当時は誰の作か判る有名工であったのでしょう。元禄頃より世の中は大平の世になり、刀の需要も少なくなり、刀もあまり作られなくなった平和な時代を迎えた為に、本国守刀工の現存作大変少なく貴重です。拵えも幕末の銅地魚々子地、半太刀金具の付いた半太刀拵えが、如何にも幕末時代の武士達の息吹が聞こえてきそうな拵えが本刀を一層の価値を上げています。 |
店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 雲州住貞法作(島根県重要無形文化財) | 現代 | 72.6 | 1.5 | 0.75 | 平成六年十一月日 重量鞘を払い984g、備前伝鎌倉時代福岡一文字写 互の目丁子刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
太刀 | 泉州住助延作(大坂の古刀)) | 室町 末期 |
70.7 | 1.3 |
0.52 | 天文二十年十二月日 助延は加賀四郎と言い、本刀は天文二十年(1551年)(463年前)の作。ポルトガルから鉄砲伝来(1543年)の後の東洋のベニスと言われた泉州堺では鉄砲を大いに製作していた時代で、外国貿易で大いににぎわっていました。何故か大坂は室町以前での古刀の刀工の作品が非常に少ない国でしたが、助延の先輩鍛冶の資正が本国加賀から移住、その後本 助延一派も加賀から移住したものです。本刀は反りが浅く地金は板目肌に柾目肌が交じり、刃紋は表裏の揃うのたれ乱れ刃に互の目刃を交え明るく覇気有る刃を焼いています。後世の加州兼若に通じる刃を焼いています。助延の作例ほとんどなく 大阪にとっては大変貴重な刀です。日本刀銘鑑には本刀が書かれ、刀銘集覧には本刀の押し形が掲載されています。拵えも江戸期の拵えが本刀を一段と華やかに飾っています。お楽しみ下さい。 |
丸 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 延寿 | 南北 朝 |
69.3 | 1.1 | 0.76 | 肥後延寿の祖は鎌倉時代山城来国行の孫とされる国村に始まり、本刀は佐藤寒山先生鞘書によりますと、南北朝時代(1332年頃)の延寿とされています。鑑定書は末延寿ですが、室町時代までは時代は下がらないでしょう。姿は切っ先の延びた、元幅と先幅の差が少い南北朝時代の豪壮な姿。地金は小板目肌良く詰み細かな地沸が付き、刃紋は小沸出来の直刃を焼いて金素晴らしく上手な焼きを入れています。大和系鍛冶で来国行の娘婿となった弘村の子が国村で、元応頃肥後に移住、延寿鍛冶の祖となりました、本刀は大変来国光に見える延寿の名刀で、新しく審査をすると、来の名刀の鑑定が付くかもしれない位良く出来た刀です。お楽しみ下さいませ。 | 丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 上野大掾國益作 | 江戸 初期 |
54.8 | 1.8 | 0.75 | (土佐藩工)(谷干城愛蔵刀) 谷干城は土佐藩出身後陸軍大将、西南の役で西郷軍に熊本城を包囲されて、熊本鎮台であった熊本城を死守した名将として古来有名な将軍でした。大変な愛刀家で後中央刀剣会会長も務めました。本刀は谷干城将軍の郷土刀の国益の名脇差です。国益は生国河内国八尾、大坂二代丹波守吉道の弟子、後上野守吉国の養子となりました。山内家抱鍛冶で本脇差は地金板目肌良く詰み、刃紋は奔放な互の目丁子刃を高らかに焼き上げています。大変貴重な谷干城将軍の御愛蔵の脇差をお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 備州長船祐定 | 室町 末期 |
67.1 | 2.1 | 0.7 | 本刀は永禄2年今から453年前織田信長が京に入った時に作られた、名工備前長船祐定の典型作です。身幅広く重ね厚く切っ先長く、先反りの付いた豪壮な姿に、地金板目肌良く詰み、刃紋はのたれを焼き非常に覇気の有る焼きを入れています。この様に豪壮な刀は侍大将の持つべきもので、名の有る武将の持ち物で有ったと想像されます。拵えも江戸時代の立派な拵えが、本刀を一層華やかにしています。戦国時代の花の有る備前長船祐定の名刀をお楽しみ下さい。 | 貴 | ○ | 白拵 | 売約御礼 | |
刀 | 雲州住貞永作之 | 現代 | 76.1 | 1.3 |
0.63 | 重量鞘を払い860g鎌倉時代備前福岡一文字写。互の目丁子刃素晴らしくよく出来ています。 | 店 | ◎ | 拵 | 売約御礼 | |
脇差 | 和泉守国貞(草書銘) | 江戸 初期 |
48.8 | 1.1 | 0.68 | 和泉守国貞は日向宮崎の出身郷里の先輩堀川国廣を頼り京に上り門人となる。堀川国廣は老齢で甥の国寿に習ったのでしょう。元和末年の頃初代国助とともに大坂に移住大坂新刀の祖となりました。子供が大坂正宗と称された井上真改です。本脇差は草書銘で昔から親国貞の隠居銘又は真改の代作代銘と言われ数が少なく大変貴重な脇差として大切にされています。板目肌良く詰み直焼き出しを焼き、直調の刃に互の目の足を巧みに焼き上げています。大坂新刀の祖和泉守国貞の名脇差をお楽しみ下さいませ。 |
特 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
太刀 | 流現平安城沖芝源信重作之花押 | 現代 | 92.3 | 3 |
0.79 | 昭和四十八年八月日 沖芝信重は唯一現存の大阪の刀匠です。師であり父である沖芝正次に師事後人間国宝月山貞一の兄弟弟子喜多貞弘の弟子となる。隕石とともに地球に宇宙から降り注いだ隕鉄を刀の材料にして鍛えた刀を作ったことでも全国的に有名です。隕鉄で刀を造るのは大変難しく沖芝信重刀匠の技量の高さが示されています本刀は3尺を越す大名刀です。素晴らしい刀をお楽しみください。 |
店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 肥後国住赤松太郎兼裕作 写清麿 | 現代 | 75.2 | 2.1 |
0.9 | 以自家製鉄鍛之 壬辰年九月吉日 現代刀匠で余りにも有名な熊本県八代住赤松太郎兼裕の見事な幕末の名刀匠 源清麿写しの素晴らしい名刀です。大切っ先姿堂々として源清麿独特の姿を現し、互の目乱れ刃素晴らしく勢い強く地金板目肌素晴らしく鍛えられ、強靭この上もなく清麿が目指した強靭さと切れ味を今に再現した名作です。源清麿写しの名刀をお楽しみください。 |
店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 元興入道松軒作(会津藩工) | 江戸 末期 |
70.3 | 2 | 0.8 | 文久元年二月日(新々刀上々作) 会津藩工初代角大八元興は江戸に出て水心子正秀の弟子となり、素晴らしい才能の為に、会津藩工に選ばれました。そして藩主の命により薩摩に行き、元平門人となり元興と改めました。孫で本刀の大助が角家を継ぎ、会津侯からのお預かり弟子として江戸で運寿是一門人となり運寿是一との合作の刀もあります。会津容保侯と一緒に上京し新選組局長近藤勇や副長土方歳三の刀も作っています。初代よりも上手で素晴らしい刀を残しています。本刀は44歳の作で作風は運寿是一に似て、小板目肌が良く詰んで地沸の付いた地鉄に小沸出来の華やかな丁子乱刃、足が良く入り刃中が沸えで素晴らしく良く働いています。本刀も素晴らしく華なやかな刀になっています。 |
保 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 上野守藤原兼定越前住(業物) | 江戸 初期 |
69.6 | 1.8 |
0.72 | 有名な和泉守兼定の子孫が、本国美濃から越前に移住した慶長の和泉守兼定の末、延宝頃(1673年)の兼定です。本刀は古来業物として非常に有名で小板目肌良く詰み柾肌を交え刃紋は互の目に尖り刃を交え匂い深く、沸も現し。覇気ある刃を素晴らしく明るく焼いています。和泉守兼定の子孫はもう一方は 会津に移住して会津兼定として新々刀期まで活躍しています。もう一方は本刀のように越前に移住し大活躍しました。業物兼定の名刀をお楽しみ下さい。 | 保 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 宗光作 | 室町 末期 |
71.5 | 2.5 |
0.86 | 備州長船左衛門七郎藤原宗光。天正1590年頃の名工です。地金は板目肌良く鍛えられて、力強い地金を鍛え、刃紋は直刃に小丁子や刃中葉が交じり、変化のある刃を焼いて上手です。宗光は鎌倉時代の長船長光の弟又は弟子と言われる初代から続き文明の左京進宗光、天文頃の左京進宗光、永禄の左近宗光と本刀の左衛門七郎藤原宗光と続きます。末備前と尊称される備前鍛冶は天下の戦国大名の垂涎の的の名刀揃いでした。大変貴重な健全な備前長船宗光の名刀をお楽しみ下さいませ。 | 保 | ○ | 白拵 | 売約御礼 | |
刀 | 武蔵國住吉原義人作 | 現代 | 75.2 | 1.9 | 0.79 | 昭和乙未歳二月日(昭和54年) 吉原義人は昭和18年生まれ現代刀の最高峰として余りにも有名。次の人間国宝の最右翼の刀工です。昭和57年無鑑査刀匠に指定されています。本刀は姿豪壮で元末の差が余りない鎌倉時代の太刀姿堂々として、切っ先は猪首切っ先となり、地金は板目肌素晴らしく強く良く鍛えられて、刃紋は備前福岡一文字を狙った大房丁子を、逆丁子刃を交え素晴らしく明るく覇気有る刃を焼き上げています。新作名刀展で、無監査刀匠、高松宮賞3回受賞、文化庁長官賞2回、名誉会長賞、寒山賞とあまたの受賞歴の名工です。 |
店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
短刀 | 大和国住月山貞利彫同作(花押) | 現代 | 31.4 | 0.2 | 0.81 | (先祖伝来綾杉鍛法) 人間国宝に一番近いと言われる月山貞利の先祖奥州月山家伝の綾杉肌で鍛えた名短刀です。姿は相州正宗の姿に、地金は綾杉肌を見事に鍛え上げ、刃紋は互の目乱れ刃を上品に焼き上げて、刃中の働きも見事です。彫は表に樋の中に剣と梵字を一番難しい彫を見事に浮彫で現し、裏は二筋樋の彫を彫り上げています。本短刀を一段と華やかにしています。貞利刀匠の貴重な短刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 濃州関住兼房作 | 室町 末期 |
75.4 | 1.2 | 0.68 | 永禄九年八月吉日 正保四年十月日二ツ胴裁断 山野加右衛門永久花押(若狭守氏房) 兼房5代目弘治2年長兄石見守国房より惣領職を譲られ善定嫡家を継ぎ、永禄13年若狭守を受領してほどなく氏房と改めました。本刀は永禄九年(1566年)の製作年代が大変貴重です。身幅広く切っ先が延びて地金は小板目肌よく詰み、刃紋は兼房乱れと呼ばれる頭が丸い互の目乱れ刃や飛び焼きを交え素晴らしく覇気有る刃を焼いています。正保四年の山野加右衛門永久の二つ胴裁断の試銘も本刀の凄さを現しています。古刀の裁断銘少なく大変貴重な名刀です。 |
店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 山城守藤原歳長 | 江戸 初期 |
71.2 | 1.8 | 0.73 | 丸 | 〇 | 白拵 | 売約御礼 | ||
太刀 | 国平 河内守藤原国助刻印(国宝山鳥毛写) | 現代 | 83.2 | 3.4 |
0.87 | 淡雪頃 平成二十三年吉日 河内国平刀匠は奈良県重要無形文化財、無鑑査刀匠として余りにも有名な人気第一の名工です。人間国宝、宮入昭平刀匠と人間国宝、隅谷正峰の両方に、学ぶという大変研究熱心な名工です。本太刀は国宝一文字 山鳥毛の太刀を豪快に写した名品です。豪壮な鎌倉中期の太刀姿に地金は板目肌素晴らしく良く鍛えられ、刃紋は素晴らしく覇気のある出入りの激しい丁子刃を焼いて成功しています。また祖先の河内守藤原国助を襲名した記念の名物太刀です。お楽しみください。 |
店 | ☆ | 白 | 売約御礼 | |
脇差 | 助廣(そぼろ) | 江戸 初期 |
52.5 | 1.3 | 0.6 | (摂州住藤原助廣)(ソボロ助廣) (最上大業物) 古来有名なソボロ助廣の助廣二字銘の貴重な名刀です。承応1652年頃の刀です。本刀は小板目肌錬れて良く詰み、細かな地にえがついて鎬地柾になり、刃紋は互の目丁子刃素晴らしく働きが有り備前福岡一文字の名刀を見る様な素晴らしい出来です。最上大業物の切れ味を彷彿とさせる名刀です。ソボロ助廣の養子が大阪新刀の横綱津田越前守助廣です。数少ないソボロ助廣の二字銘の名刀をお楽しみください。 |
保 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 備前介藤原宗次 | 江戸 末期 |
69.3 | 1.6 | 0.75 | 安政五年八月日 新々刀備前伝の第一人者固山宗次56歳の脂の乗り切った時の名刀です。四谷正宗と称された源清麿とライバル同士として二人が競い合った話は余りにも有名です。宗次の刀は作刀の出来がすぐれているだけでなく、斬れ味も素晴らしく華美兼備の名刀として大変人気が高く、新々刀備前伝刀工中第一人者です。地金は小板目に小杢が交じってよく詰んで美しく匂い出来の華やかな丁子はを元から先までむら無く焼き上げています。固山宗次の名品をお楽しみください。 |
特 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 越前住播磨大掾藤原重高(大阪の代表的名コレクター旧蔵品) | 江戸 初期 |
79.3 | 1.2 | 0.77 | 越前福井松平に名工ありと謡われた江戸時代の寛文新刀長曽祖虎鉄と同時代の名工播磨大掾重高の名品です。本刀も寛文新刀体配の反りの浅い突き業の流行った時代の姿をしており刃紋は掟どうりの華やかな互の目丁子刃を焼き、板目に柾肌が流れ良く詰んでいます。越前新刀は康継、虎鉄始め重高と大変武士に高く評価され人気のの刀工です。 | 丸 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
脇差 | 藤原清人作(源清麿) | 江戸 末期 |
42.2 | 0.4 | 0.64 | 清人嘉永五年26歳の時船田一琴の紹介で源清麿の弟子となり清麿が嘉永7年11月14日自宅で自刃の時僅か二年の内弟子であったが清人師匠をこよなく尊敬していた為に清麿の刀の半金を貰った刀の残債が30本も有ったのを 清人が成り代わって清人が刀を打って納めた話は美談として今日まで語り伝えられています。このような素晴らしい刀匠である為に古来人気の高い刀工です。本刀は清人33歳の快心作です。鋭い長巻直しの清麿独特の姿、地金は清人独特の柾目肌に地景を現し強靭脇差を作っています。 | 店 | ◎ | 白拵 | 売約御礼 | |
刀 | 吉原義人作 | 現代 | 69.9 | 1.2 | 0.81 | (木村篤太郎先生愛刀の一) 木村篤太郎先生は検事総長、法務大臣、司法大臣、保安庁長官、行政管理庁長官、初代剣道連盟会長、の功により昭和49年勲一等旭日大綬章を受章した大政治家であり、大愛刀家として大変有名な名士です。吉原義人刀匠は次期人間国宝になる名工としてあまりにも有名な刀匠です。昭和天皇の弟君であられる高松宮様は、大の愛刀家として有名。吉原義人刀匠は高松宮殿下手ずから、第一回高松宮賞を受賞した名誉有る名工です。本刀は備前鎌倉期の福岡一文字を狙って成功しています。どうぞお楽しみください。 |
店 | ◎ | 白拵 | 売約御礼 | |
刀 | 国平造(41歳作) | 現代 | 75.2 | 1.9 | 0.72 | 河内国平刀匠は奈良県重要無形文化財に指定されている、現代刀匠の第一人者で大変人気の高い名工です。人間国宝宮入昭平刀匠より独立して10年目、師匠宮入昭平刀匠の相州伝を追い求めていたころの代表的作品です。姿は南北朝期の大切っ先の豪壮な姿を現し、真の棟に太い棒樋を掻き、地金は小板目肌を鍛え上げ、大変強い地金に鍛え、刃紋はのたれ乱れ刃に互いの目を交え地に向かい大変働きのある覇気有る刃を焼きあげています。清麿にも負けない気位で国平作の銘も好もしいものです。 | 店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
脇差 | 摂州住康永(多々良長幸の師) | 江戸 初期 |
57.5 | 1 |
0.74 | 摂州住康永の名脇差です。大坂石堂の祖、備中守橘康廣の弟で、後に大阪鍛冶の代表者の一人になる多々良長幸の師匠として有名です。本脇差は姿堂々として地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は大胆なのたれ乱れ刃を豪快に焼いています。長く軍刀拵えに入れられていたためにやや錆びていますが、本来は大変な名刀ですので、お楽しみくださいませ。完全軍刀拵え付は貴重品です。 | 店 | △ | 拵 | 売約御礼 | |
短刀 | 備前国長船祐定(正宗十哲左写) | 室町 末期 |
25.2 | 0.2 |
0.77 | (正宗十哲左写) 永正7年(1510年)500年前に作られた、備前長船祐定の筑前左写しの素晴らしい短刀です。姿やや反りの付いた、左独特の気の利いた姿を現わし、非常に上品な姿。地金板目肌良く詰み相州伝のたれ調の刃紋、素晴しく良く出来、刃中明るく冴えています。永正の祐定はかの有名な与三左衛門尉祐定の活躍期で本短刀も与三左衛門尉祐定の作でしょう。数百年の時をしっかりと大切に守られた名短刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
脇差 | 伝兼吉(善定) | 江戸 初期 |
52.2 | 0.7 |
0.67 | 関善定兼吉寛文(1661年)頃の名脇差です。関善定派の多くは直刃を焼いて上手です。本脇差も姿堂々として、地金小板目肌良く詰み、鎬に柾肌が現われ、刃紋は直刃を良く焼いています。拵えは大変手の込んだ幕末の、鎌倉彫の一作で鞘迄も鎌倉彫を彫り、現代ではもう出来る職人もいない、大変貴重な拵えが付いています。お楽しみ下さいませ。 | ○ | 拵 | 売約御礼 | ||
短刀 | 月山 | 室町 末期 |
24.5 | 0 | 0.61 | 日本刀の草早期から始まる刀の1本として奥州月山は余りにも有名です。本短刀は時代は永正頃(1500年頃)出羽(山形県)の月山を中心として月山鍛冶が隆盛の極みを謳歌していた時の貴重な短刀です。時代がかわり、時代とともに、本州の刀に押され消耗も加わり極めて少なくなってまいりました。本刀は典型的な月山独特の綾杉肌を現しすこぶる優品で貴重な短刀です。幕末奥州月山の末裔が水心子正秀の弟子となり大阪月山の元を作った月山貞吉、月山貞一、月山貞勝、月山貞一、月山貞利5代の基となる貴重な刀を是非お楽しみください。 | 甲 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 了戒能真作 | 室町 初期 |
66 | 2 | 0.7 | 来国俊の子が了戒で室町期に九州筑紫に移住したものを筑紫了戒と呼称いたします。了戒能定を祖とし、能定の子が能真で、本太刀は応永頃1394年(618年前)頃の太刀です。優美な太刀姿で、地金は小板目の詰んだ地沸が付き柾肌が交じり、小沸出来の直調の刃を焼き、刃ぶちがほつれたり浅いのたれが交っています。山城来国俊の子了戒の末裔 大変貴重な、了戒能真の太刀をご覧になり、お楽しみください。 | 店 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 筑前住源信国平四郎吉政 | 江戸 初期 |
70.2 | 1.4 | 0.69 | 筑前信国十二代吉貞の嫡男に生まれる。寛永1624年頃の刀工。本刀は地金小板目肌素晴らしく良く付き杢が交じり細かな地にえがついています。刃紋は小にえできのたれ刃に丁子の小足が入り素晴らしく良く働いています。吉政は筑前信国派の頭領としてあまりにも有名な刀工です。筑前黒田藩のお抱え鍛冶。 | 保 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 備前国住長船七兵衛尉祐定 | 室町中期 | 70.3 | 1.8 | 0.7 | 寛永時代(1624年)の備前長船祐定です。永正(1504年)与三左衛門尉祐定の5代目です。天正19年(1591年)吉井川大洪水でかくも刀剣王国を誇った備前鍛冶も壊滅し本刀の製作者七兵衛尉祐定が後世に名作を残す貴重な刀工の一人として残った。本刀も古刀期そのままの姿腰反り高く地金板目肌良く詰み刃紋匂い本位の柔らかい直刃を焼き刃中良く働いて映りも地に良く現れ備前刀の価値を遺憾なく表しています。 | 丸 | ○ | 白拵 | 売約御礼 | |
刀 | 大和国柳生庄源貞弘造之(奈良県重要無形文化財) | 現代 | 71.6 | 1.6 |
0.69 | 昭和乙丑年初春吉日 月山貞勝の弟子で人間国宝月山貞一と兄弟弟子の奈良県重要無形文化財喜多貞弘刀匠の正宗写しの素晴らしい刀です。貞弘刀匠は当時相州伝の第一人者として大変有名な刀匠です。本刀は正宗を写し鍛え板目肌良く詰み正宗ののたれ刃素晴らしく良く出来た名刀です。お楽しみくださいませ。 |
店 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 山居国平製之刻印(国宝山鳥毛写) | 現代 | 72.7 | 2.8 |
0.77 | 河内国平刀匠は奈良県重要無形文化財、無鑑査刀匠として余りにも有名な人気第一の名工です。人間国宝、宮入昭平刀匠と人間国宝、隅谷正峰の両方に、学ぶという大変研究熱心な名工です。本太刀は国宝一文字 山鳥毛の太刀を豪快に写した名品です。豪壮な鎌倉中期の太刀姿に地金は板目肌素晴らしく良く鍛えられ、刃紋は素晴らしく覇気のある出入りの激しい丁子刃を焼いて成功しています。お楽しみください。 | 店 | ◎ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 若狭守藤原氏房(織田信長抱え鍛冶)(薫山 鑑刀日々抄所載) | 室町 末期 |
74.6 | 2 |
0.77 | 永禄十三年四月二十二日(1569年) 織田信長の推挙で若狭守受領。若狭守氏房の刀は有名すぎるほど有名ですが、刀の現存作非常に少なく、本刀は大変貴重な刀です。善定派の頭領鍛冶、善斎兼房の子、元は兼房と名乗り今川氏真より氏の字を賜り氏房と名乗る、後織田信長の抱え鍛冶となり安土にて二百貫文の領地を拝領。本刀は姿豪壮で板目肌に地沸細かにつき、地景現われ刃紋は角張った大のたれ刃、小互の目交じり覇気有る刃を焼いています。若狭守氏房の素晴らしい名刀をお楽しみくださいませ。 |
甲 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
脇差 | 小林伊勢守国輝 | 江戸 初期 |
57.8 | 1.7 | 0.73 | 小林隼之進。伊勢守国吉の次男で、初代国助門人となり、その娘婿となって別家を立てました。寛文十二年伊勢守を受領。本脇差は受領後4年目の作です。本脇差は反り深く優美な姿を現わし地金は小板目肌良く詰んで美しく大阪地金を作り、刃紋はのたれ乱れ刃に砂流しが交じり、沸匂い深く、刃中大変明るく覇気が有り、井上真改の傑作刀を彷彿とさせる素晴らしい出来です。お楽しみくださいませ。 | 丸 | ○ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 正則 | 現代 | 67 | 1.7 | 0.71 | 店 | ○ | 白拵 | 売約御礼 | ||
刀 | 肥前国住保次作 | 現代 | 73.2 | 1.2 |
0.6 | 重量:さやを払い876g 素晴らしい地肌です。 | 店 | ○ | 拵 | 売約御礼 | |
刀 | 肥前国住保廣作 | 現代 | 70.9 | 1.65 |
0.72 | 重量:さやを払い794g 互の目刃素晴らしく良く出来ています。 | 店 | △ | 拵 | 売約御礼 | |
脇差 | 伝三原 | 室町 末期 |
52.2 | 0.7 |
0.54 | 大すり上げ無銘の室町時代寛正(1460年)頃の脇差です。地金板目肌に鎬柾目肌現われ鎬高く、地に時代の古さを現わしています。刃紋は直刃、匂いがきりりと締まり刃が明るく良く冴えています。ぼうしも深く返りまさしく備後三原に見える好ましい脇差です。拵えも鍔は鉄地昇り龍の図、縁頭は真鍮地魚の図。目貫は赤銅笹鮎の図。小柄は真鍮地梅と鶯の図と大変豪華な拵えとなっております。どうぞお楽しみ下さいませ。 | 丸 | ○ | 拵 | 売約御礼 | |
刀 | 後代孫六兼元 | 江戸 末期 |
69.2 | 1.2 |
0.79 | 本刀は江戸末に作られた刀です。地金は小板目肌が素晴しく良く詰み鎬は柾目肌を鍛え強い地金をしております。刃紋は孫六兼元を写した三本杉を上手に焼いており綺麗な刀に仕上げております。どうぞお楽しみ下さいませ。 | 店 | ○ | 拵 | 売約御礼 | |
刀 | 肥前国住人忠吉 | 江戸 中期 |
69.3 | 1.2 |
0.74 | 寛文十三年 山野加右衛門永久 花押 三ツ胴裁断 初代忠吉は元和十年二月十八日(寛永元年)1624年武蔵大掾を受領し、名を忠廣と改めました。忠吉が生涯理想とした大和手掻包永を狙った快心作です。姿反り浅く板目力強く素晴らしく地にえ良く付き、直刃、初代忠吉は刀剣愛好家の憧れの名刀ですお楽しみください。 |
店 | ▲ | 白 | 売約御礼 | |
刀 | 備州長船家助 | 室町 中期 |
63.6 | 1.8 | 0.43 | 家助は大宮盛景の門で元々小反派に属する刀工です。本刀は四代目応永頃の家助です。地金は小板目肌良く詰み、元から乱れ映りが立ち、刃紋は直調のたれ刃に互の目が交じり刃中素晴しく明るく冴えています。拵えは少々傷みが有りますが、鞘は長州毛利家の家紋ずくしの鞘で、鍔は鉄地に魚子を打ち、くるみの実を添え紋とし縁も鉄地に魚子を打ち、くるみの実を据えて頭は角をあしらい、殿中差しとなっています。古くは高級武士の差料であった物です。お楽しみ下さい。 | 店 | ○ | 白拵 | 売約御礼 | |
刀 | 雲州住貞永作之6(島根県重要無形文化財) | 現代 | 74.6 | 1.7 | 0.55 | 重量:鞘を払い890g 備前伝福岡一文字刃 互の目丁字刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵 | 売約御礼 |
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