展示 刀剣 一覧 日本刀の通信販売 株式会社 明倫産業 保管庫 |
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※表示の価格は全て税込です。 |
No. | 種別 | 銘文 | 時代 | 長さ (cm) |
反り | 元重 | 解説 | 証書 | 質 | 付属 | 価格 |
短刀 | 伝村正(妖刀村正) |
室町 末期 |
29.4 | 0.2 | 0.44 | 大和室町期の天文頃(1532年)の手掻派の作品です。姿は反り深く上品な姿を現し、彫は棒樋と添え樋を掻き、地金は板目肌肌立ち、流れ柾肌交じり、刃紋は一部朽ちこみが有りますが、細直刃で沸、匂い深く刃中素晴らしく明るく冴えています。手掻派は鎌倉時代の包永より連綿と続く名門の刀匠。本刀のように殆んどの刀が直刃で上品に作られています。本脇差も約482年前の貴重な脇差です。大和手掻派の素晴らしい名刀を是非おたのしみくださいませ。 | 店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 筑後住国治作 平成三年十月 |
現代 | 71 | 2 | 0.69 | 長さ2尺3寸4分 昭和4年生。本名小宮国治福岡県大牟田市住。小宮四郎国光門。全日本刀匠会会員。大日本刀匠会銀杯受賞その他数々の賞を受賞。本刀は鳥居反りで身幅広く中切っ先で姿の良い刀姿を現し、彫は棒樋を彫り、地金は小杢目肌良く詰み、力強い地金を鍛え覇気が有ります。刃紋は互の目に互の目の足が良く入り見事です。互の目の足を入れるのは焼き入れが大変難しく国治刀匠見事な刃紋を焼き素晴らしい名刀となっています。拵えは現代の拵えですが鑑賞用に作られた本刀に一層華を添えています小宮四郎国治刀匠の名刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 陸奥守藤原兼高 濃州関三阿弥 |
江戸 初期 |
71.4 | 0.6 | 0.66 | 長さ2尺3寸5分6厘 兼高は室町時代天文から続く刀工です。江戸時代の兼高は兼国、国里と並んで三阿弥派の代表鍛冶です。尾州信高は兼高家の別れとなっています。本刀は新刀美濃関打ちで反りの少ない虎鉄と同じ寛文新刀の姿を現し、地金は小板目肌良く詰み、地沸が付、刃紋は匂い出来で小沸がついた互の目交じり、互の目に小乱れ、小丁子が交じり飛び焼きも現れ、大変にぎやかな刃を焼き見事です。帽子は典型的な地蔵帽子で返りが長くなっています。拵えも江戸期の武士の質実剛健さが良く判る頑丈な鉄一作拵えが、本兼高の刀に一層華を添えています。今回世の中に生で初めて出たために格安にて御提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 笹露 筑州住宗弘作 平成十三年六月吉日 |
現代 | 71.3 | 1.7 | 0.61 | 長さ2尺3寸5分 重量鞘を払い1079gr 宗弘刀匠は有名な宗勉刀匠の父であり、宗昌親刀匠の祖父です。宗一門の始祖として特に有名です。本名宗弘明治38年生まれ、本刀は元身幅広く先身幅も広く切っ先は中切っ先の豪壮な刀姿を現し、地金は本三枚鍛えで鍛えた小板目肌良く詰み明るい地金を鍛え、刃紋は津田越前守助廣写の濤乱刃が見事です。この様な濤乱刃は焼き入れ難しく古来最高の技術の焼き入れと言われています。本刀は宗弘刀匠の素晴らしく技量の高さを示した刀です。拵えも現代の拵えですが一段と華を添えています。この度世の中に初めて生で出たために手入れ不足も有りますが、それも御愛嬌です宗一門の始祖宗弘刀匠の貴重な刀を格安にて御提供です、お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 讃岐守藤原盛廣入道(真田家伝来) |
江戸 中期 |
67.1 | 1.3 | 0.62 | 長さ2尺2寸1分 本刀は真田家の結び雁金紋の付いた銀金具一作細太刀拵の付いた大変貴重な刀です。讃岐守藤原盛廣は正宗十哲の一人美濃金重の末裔で江戸時代八代将軍吉宗の享保頃(1716年)(300年前)尾張や美濃で鍛刀しています。本刀は優しい刀姿を現し、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は沸出来ののたれ乱れ刃に互の目刃や尖り互の目刃を交え良く出来ています。真田家の家紋は六文銭が有名ですが本太刀の結び雁金紋も多く使われています。本細太刀は素晴らしく珍しい太刀拵様式で、特別の儀式用に作られたものと思われます。真田家は現在NHK大河ドラマで放映中の人気絶頂のこれからますます本太刀共々人気が上がること間違いありません。今回世の中に初めて生で出たために格安にて御提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
丸 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 室町 末期 |
72 | 1.8 | 0.62 | 永禄頃(1558年頃)越中の宇多の刀です。姿は長寸で元は2尺5寸以上あった刀です、現在も堂々とした姿を現し、馬上の侍大将以上の注文の刀です。地金は板目肌に柾目肌交じり、地に白気映りが現われ、地金、所どころ荒くなり刃紋は直刃調のたれ刃、打ちの気が刃縁に掛かり、ちじに乱れています。この様な刀は大変物切れする刀で、古来戦場で大いに活躍したものと思われます。北国の刀は寒さのために折れる事に一番気をつかい製作され、非常に粘り気ある地金を作り出しており。戦国時代越後上杉謙信が大変重宝した宇多の名刀を大いにお楽しみくださいませ。 | 保 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
短刀 | 三原住正佐作 八月日 |
室町 末期 |
19.6 | 0 | 0.54 | 長さ6寸4分半 備後貝三原文亀1501年頃の刀工。本短刀は地金板目肌良く詰み、大和伝直刃匂い良く締り、食い違い刃を交え格調の高い刃を焼き気品高く、 姿もすこぶる良く名短刀です。 拵えも黒ろう鞘目貫富士越えの龍の図。小柄富士越えの龍の図。鞘に葵の紋が蒔絵で描かれ立派です。正佐の在銘短刀素晴らしく少なく、本短刀も貴重な短刀です。お楽しみください。 |
保 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 丹波守吉道(京初代)(伏見丹波) |
江戸 初期 |
71.2 | 1.8 | 0.64 | 長さ2尺3寸5分3厘 慶長時代(江戸初期) 志津三郎兼氏九代の末葉と称する父兼道に伴われ兄弟四人が文禄二年二月、(1592年)(422年前)二条関白のお供をして上京、文禄四年十二月七日丹波守を受領、作刀は短刀、脇差が多いですが刀は少なく本刀は大変貴重な名刀です。姿は身巾尋常で堂々とした体配、地金は板目に柾がまじって地にえがよくついています。刃紋は互の目乱れ刃、匂深く覇気有る刃を焼き良く出来ています。角がかった銘を伏見丹波と称しています。本刀は世の中に初めて出たために、古研ぎの為に格安にてご提供ですお楽しみ下さいませ。 |
丸 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 伝直江志津(長巻直造) |
南北 朝 |
62.8 | 2 | 0.73 | 寒山先生の鞘書は志津となっておりますが、特別貴重刀剣の極めは直江志津となっています。昔から長巻直の刀には鈍刀無しと言われ名刀揃いです。本刀も長巻を刀に直したもので、地金は良く練れて細かく、小杢目肌に柾目肌が交じり、湯走が現れ、刃紋は沸本位でのたれ乱れ互の目刃が交じり、沸で崩れ沸の光強く時代が南北朝時代の為、650年以上経過していますので刃が低くなっているところもあり時代の古さを充分に感じさせます。直江志津に極められた長巻直しの刀は大変少なく貴重です。南北朝期の古い名刀をお楽しみ下さいませ。 | 店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 冬廣作(古刀) |
室町 末期 |
61 | 1.8 | 0.78 | 長さ2尺2分 若州冬廣は本国相州鎌倉鍛冶の広次の子が若州小浜に移住して、代々同銘が小浜に続いています。本刀は銘振りからして大永頃(1521年)(495円前)の三代目の冬廣の名刀です。刀の姿は鳥居反りで片手抜き打ちに適した健全な姿を現し、地金は板目肌が良く詰み明るい地金を鍛え、元から淡く映りを現し景色が良く、彫は表には鎬地に独鈷付剣巻龍と、裏には爪付二筋樋を見事に彫上げています。刃紋は小沸出来の直刃調のたれ刃に互の目を交え非常に上品な趣のある刃を焼いて見事です。彫等から考えて戦国大名の特別注文品でしょう、素晴らしく垢抜けした名刀です。約495年前の若狭の小浜の冬廣の名刀を是非お楽しみくさい。特別に格安にて御提供いたします。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
細 太刀 |
細太刀拵え(真田家結び雁金紋)(肥前国住人忠吉) |
50.6 | 1.6 | 0.62 | 全長91cm 本細太刀拵えは皇族や公卿用の儀仗用太刀で、朝廷の最高儀式の時や皇族や参議以上の高位高官の公卿が朝儀の時束帯姿に佩用するものです。細太刀は飾り太刀の代とも言い、飾り太刀拵を簡素にしたもので細くきゃしゃに出来ているので細太刀と呼ばれています。本細太刀は柄は白い鮫皮で包み米俵形の俵鋲を打ち、結び雁金の飾り目貫を据え鍔は分銅形の唐鍔で、鞘は金梨地沃懸地に桐と桔梗を螺鈿細工で現し見事です。三位以上は金造、四位以下は銀造と言う事で、本細太刀は三位以上の公卿の物でしよう。中身の肥前国住人忠吉はあくまでも細太刀拵えの本来は刀身形の鉄棒や木、竹、鯨の髭を入れるのを当時からツナギ代わりに入れてられていますので希望銘です。経年変化の為に腕貫緒の露金具や多少の欠損も有りますが残っていただけでも有難いものです。今回初めて世の中に生で出たために格安にて御提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | 希 | 拵え | 売約御礼 | ||
太刀 | 江戸 初期 |
75.1 | 1.7 | 0.78 | 長さ2尺4寸8分 近江大掾忠廣は肥前国忠吉の嫡男で寛永十八年七月(1641年)(374年前)に近江大掾を受領。本刀は正しく寛永十八年八月期の近江大掾を受領した記念の太刀です。本太刀は太刀姿力強く堂々として姿が素晴らしく良く、地金は小板目肌に地沸がついて潤いが有り所謂小糠肌の典型です、刃紋は家伝の中直刃素晴らしく力強く良く明るく焼き上げ、初代忠吉をはるかに凌ぐ出来を現しています。忠廣は新刀期の代表刀工で有り、新刀の正しく優等生です。本太刀は忠廣28歳の記念の1口で近江大掾受領の寛永十八年八月期は忠廣研究には無くてはならない貴重な名刀です。次期の重要刀剣候補の最右翼の名刀です。お楽しみ下さいませ。 |
特 | ☆ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
太刀 | 現代 | 78.1 | 3.1 | 0.8 | 頃 御水取り 平成八年吉日 長さ2尺5寸7分7厘 河内国平刀匠は奈良県重要無形文化財、無鑑査刀匠、多くの知識人と交流の深い文化人としても余りにも有名な、現在人気第一の名工です。人間国宝、宮入昭平刀匠と人間国宝、隅谷正峰の両方に、学ぶという大変研究熱心な名工です。平成26年度は最高賞正宗賞を受賞、益々人間国宝に近づいています。本太刀は鎌倉時代備前福岡一文字の太刀を豪快に写した名品です。豪壮な鎌倉中期の太刀姿に、地金は板目肌素晴らしく良く鍛えられ、刃紋は素晴らしく覇気のある出入りのある見事な丁子刃を焼いて成功しています。人間国宝確実な国平刀匠の名刀をお楽しみください。 |
店 | ☆ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
太刀 | 平安 末期 |
68.6 | 1.3 | 0.68 | 長さ2尺2寸6分 備中国は古くから製鉄が盛んで、刀工も多く存在し、青江の地を中心に活躍していました。青江の多くがその名に「次」の字を用いていました。本弘次は平安末期平清盛の時代からから鎌倉初期元暦頃(1184年)(831年前)源頼朝、源義経の頃に活躍した生在銘の古青江弘次です。姿は腰反りで切っ先は中切っ先、鍛えは板目肌に杢目肌を交え地景が入り、地沸が細かに付き微かに地斑映りを現し、素晴らしく明るい地金を鍛えています。刃紋は直調の小乱れを主調として深みが有り渋い味わいが有ります、弘次の銘を刀銘に古い目釘穴の下に堂々と切った、古青江の最大特徴を大変良く現した名刀です。時代の経過の為に刃中に鍛えの傷が有りますが、古青江の在銘だけでも有る事だけでも日本の宝です。本太刀は生在銘の貴重な古青江の名品です。是非お楽しみ下さいませ。 |
特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
太刀 | 現代 | 73.5 | 1.8 | 0.74 | 昭和甲子秋吉日(昭和59年) 長さ2尺4寸3分 正宗賞受賞の河内国平刀匠は奈良県重要無形文化財、無鑑査刀匠として余りにも有名な人気実力第一の名工です。人間国宝、宮入昭平刀匠と人間国宝、隅谷正峰刀匠の両巨匠に、学ぶという大変研究熱心な名工です。本太刀は鎌倉時代の名工正宗を写した名刀です。豪壮な鎌倉末期の太刀姿に真の棟、地金は板目肌素晴らしく良く鍛えられ、深い見事な二筋樋を彫り、刃紋は素晴らしく覇気のあるのたれ刃に互の目を交え沸が微塵に深く付き、金筋砂や流しが現れ正宗の名刀を見事に再現しています。研ぎは当代の第一人者隅賢三先生の見事な研ぎが、当代人気実力第一の名工河内国平刀匠の名品の価値を一層上げています。お楽しみください。 |
店 | ☆ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 伝千代鶴 |
南北 朝 |
68.4 | 2 | 0.75 | 長さ2尺2寸6分強 本刀は昔から山城来国光の刀として伝わってきた名刀ですが、現在の保存刀剣の鑑定では、同じ時代の南北朝応安頃(1368年)(646年前)山城来国行の系統の伝千代鶴の刀に鑑定されています。千代鶴派の元は山城来国安が越前に移住したと言われています。本刀は元は2尺6寸以上あった太刀を大すりあげ無銘にした刀で、切っ先がやや延び、南北朝期の延文貞治型のやや反りのある姿で、地金は小板目肌良く詰み、一部板目が現れ、刃紋は山城来派の、のたれ乱れ刃に蕨手丁子刃を交え、古来から来国光の刀と伝へられるところです。今回生で出たために格安にてご提供いたします。来国光と言い伝えられた名刀をお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 備前長船祐定(与三左衛門尉) 永正八年八月日 |
室町 末期 |
57.4 | 1.8 |
0.75 | 本刀は永正八年(1511年)年、今から503年前の祐定としては一番古い時代です。この頃はまだ受領銘が無く本刀は与三左衛門尉祐定の方手打ちの名刀です。姿は棟を急に落し、所謂利刀造の姿が勇壮です。地金は板目肌良く詰み、刃紋は匂い出来の複式互の目丁子刃素晴らしく良く刃中働き覇気が有ります。東の孫六兼元、和泉守兼定(之定)。西の与三左衛門祐定が東西の横綱と称えられました。拵えも江戸期の素銅地の金具が付いた素晴らしい拵が付いています。素晴らしく特徴的な与三左衛門祐定の刀の典型作をお楽しみ下さい。 | 保 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 武士道肥後国八代赤松太郎兼裕作 以自家製鉄鍛之 |
現代 | 73.1 | 1.9 | 0.75 | 甲午年九月吉日 長さ2尺4寸1分 重量鞘を払い1042gr、互の目乱れ刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 義兼(国定忠治の小松五郎義兼) |
江戸 末期 |
71.2 | 1.9 | 0.72 | 長さ2尺3寸5分 本刀は国定忠治の名場面、名月赤城山で有名なせりふ「赤城の山も今宵限り、可愛い子分達とも別れ別れか、今宵の月も泣いている。小松五郎義兼の鍛え上げた業物、おい岩哲」と忠治が義兼の刀を子分の岩哲に差し出すと、岩哲がその刀を懐の奉書紙で受け止める、そのあまりにも有名な名場面の刀がこの義兼の刀です。義兼は本国加賀国小松より江州に移住。国定忠治の招きにより上州にて刀を作りました。本刀は姿は元先の差の少い切っ先の延びた反りの深い豪壮な姿を現し、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は互の目乱れ刃互の目の頭が尖り心の刃が交って、刃中素晴らしく明るく出来が素晴らしいものです。因州拵の朱鞘の拵えも見事です。この度世の中に生で出たために格安でご提供です。国定忠治で有名な小松五郎義兼の名刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 肥後国八代住赤松太郎兼裕作 以自家製鉄鍛之 |
現代 | 73 | 1.9 | 0.67 | 己丑年十二月吉日 長さ2尺4寸1分 重量鞘を払い962gr、互の目丁子刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 雲州住貞永作之 昭和六十年六月日(島根県重要無形文化財)(太刀拵付) |
現代 | 72.4 | 1.5 | 0.7 | 長さ2尺3寸6分 雲州住貞永刀匠は島根県重要無形文化財に指定されている名工です。新作名刀展で特賞寒山賞受賞等毎年受賞する名匠です。本刀は小板目肌素晴らしく良く詰み互の目丁子刃素晴しく足が良く入り、備前鎌倉時代福岡一文字を忠実に素晴らしく良く写しております。貞永刀匠は大阪月山刀匠の貞勝刀匠と貞永の父貞善刀匠が兄弟弟子の為に、兄弟全て月山一門に付く貞の字が付けられています。本刀には高価な糸巻き太刀拵えが作られ本刀に一層華を添えています。名工貞永刀匠の名刀をお楽しみくださいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 伯州住吉永作 昭和五十四年八月日 |
現代 | 71.5 | 1.5 | 0.75 | 長さ2尺3寸5分 重量鞘を払い1085gr 靖国刀匠金崎助寿刀匠のお弟子です。本名小林義良。全日本刀匠会会員。新作名刀展にて賞を多数受賞する名工です。本刀の姿は誠に素晴らしく良い刀姿を現し。姿が素晴らしいのは名刀の証と古来から言われています。樋ははばき元を丸留にして棒樋を見事に彫り上げています。地金は小板目肌良く詰み力強い地金を現し、刃紋は備前伝匂い出来の互の目丁子刃をむら無く焼き上げ刃中明るく冴えています。拵えは現代の拵えですが本刀を一層華やかに飾っています。この度極上の研ぎが出来上がり格安にてご提供いたします。是非お楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 清心子貞寿造之 昭和辛亥年皐月吉日 |
現代 | 72 | 1.6 | 0.71 | (昭和46年5月) 長さ2尺3寸8分 鞘を払って1085gr 本名小島浩。徳島県小松島市住。昭和4年生まれ。父玄武斉長寿門。父長寿は戦争中日本で一番良く斬れる刀を鍛錬する事で有名でした。貞寿も備前伝に優れた腕を見せ、昔貞寿の刀が無名にされて、特別貴重刀剣の審査で固山宗次になったことを知り、宗次ごときの刀に見られるとは悔しい、との話が伝わっておるぐらい上手な刀を作っています。本刀は小板目肌素晴らしく良く鍛えられて、力強い地金を現し、刃紋は現代刀には見えない、匂い口のふっくらした互の目丁子刃を見事に焼き上げています。今回初めて世の中に出たために、一部鞘による引けが付いていますがそれも御愛嬌です。徳島県の誇る今は見ることの無い清心子貞寿刀匠の刀をお楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 関住秀安作 平成五年春 |
現代 | 72.6 | 1.8 | 0.79 | 長さ2尺4寸 重量鞘を払い1181gr 本名塚原安男氏。全日本刀匠会会員。本刀は元身幅と先身幅の差の無い切っ先の延びた南北朝の時代に流行った大太刀をすりあげた豪壮な姿を現し、地金は板目肌良く詰み、刃紋は直刃調の刃紋を焼きその上に古調な自然な二重刃を焼いて大変趣のある刃を焼いています。拵えも鞘は茶石目地に塗、柄は茶革で巻き上げ、鍔は江戸期の透かし鍔をつけ、縁頭こじり、目貫は現代の金具で現代の拵えを作り本秀安刀匠の刀を一段の華やかに飾っています。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 清心子貞寿作之 昭和五十九年十一月日 |
現代 | 70.5 | 1.7 | 0.69 | 長さ2尺3寸3分 本名小島浩。徳島県小松島市住。昭和4年生まれ。父玄武斉長寿門。父長寿は戦争中日本で一番良く斬れる刀を鍛錬する事で有名でした。貞寿も備前伝に優れた腕を見せ、昔貞寿の刀が無名にされて、特別貴重刀剣の審査で固山宗次になったことを知り、宗次ごときの刀に見られるとは悔しい、との話が伝わっておるぐらい上手な刀を作っています。本刀は小板目肌素晴らしく良く鍛えられて、力強い地金を現し、刃紋は現代刀には見えない、きりりと締った匂い出来の互の目丁子刃を見事に焼き上げています。徳島県の誇る今は見ることの無い清心子貞寿刀匠の刀をお楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 伝三品広房(六歌仙歌と人物の彫) |
江戸 末期 |
18.1 | 0.1 | 0.63 | 長さ5寸9分半 本短刀は時代は幕末から明治にかけて、伊勢国義明斉三品広房と鑑定された名短刀です。姿は小ぶりな短刀姿で、地金は小杢目肌良く詰み、刃紋は直刃を見事に焼き上げ帽子は小丸に返り匂い深く良く出来ています。刀身彫が素晴らしく細かく細密に彫られ、表は六歌仙(小野小町、在原業平、大伴黒主、遍昭、文屋康秀、喜撰法師)の和歌と人物の彫を彫り、裏は梵字を見事に彫り上げています。この様に細かく刀身に彫るのは至難の業です。日本人の素晴らしい彫の技をお楽しみ下さいませ。 |
会 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 伝備前国長船住祐平(薩摩拵付) |
江戸 末期 |
76.5 | 1.4 | 0.84 | 長さ2尺5寸2分 本刀は薩摩藩工奥元平の弟子となって銘を祐定から祐平に改名した横山伊勢守祐平の作と思われます。姿は反りの少ない切っ先がやや延びた平肉を少なくした鋭い豪壮な姿を現し。地金は小板目肌流れ心に、刃紋は互の目丁子刃が規則正しく匂明るく素晴らしく良く出来ています。本刀は文化1804年頃の横山祐平の名作と思われます。拵えも独特な貴重な薩摩拵が本刀に一段と華を添えています。今回初めて生で出たために格安でご提供です。お楽しみ下さいませ 。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 備州長船祐定 享禄二年二月日 |
室町 末期 |
68.2 | 2.6 | 0.75 | 長さ2尺2寸5分 備前国長船祐定は名刀の代名詞として余りにも有名です。本刀は享禄二年(1529年)(486年前)の作です。本刀は姿は腰反り深く先ぞりが強くついた末備前の独特の大変良い刀姿です。地金は板目肌詰み備前独特の潤いのある地金で見事な乱れ映り立ち、刃紋は互の目乱れ刃が地に向かい働きがあり、刃中葉が働き千変万化の変化を表し、素晴らしく覇気ある刃を焼き上げています。拵えは江戸時代の鞘は黒ロウ鞘に蒔絵を施し、鍔は菊花透鍔、縁頭赤銅魚々子地波に龍と波に鯱の図、目貫金色絵孫の文字図の豪華な拵えが本刀を一段と華を添えています。今回初めて世に出たために少々錆有りますがそれも御愛嬌です。格安にてご提供いたします。有名な備前長船祐定の名刀をおたのしみください。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
太刀 | 伝備前長船家助 |
室町 初期 |
63.5 | 1.4 | 0.64 | 長さ2尺1寸1分 家助は大宮盛景の門人と言われ応永備前(1411年)(604年前)の代表者の一人として有名です。長船盛光、康光と並ぶ名工です。本刀は生無銘の太刀で姿は腰反で元に踏張があり備前の特徴ある姿を現し、地金は板目肌良く詰み乱れ映りを鮮明に現し見事です。刃紋は表側は互の目刃に鎬にかけて見事な映りが立ち、裏側の刃はのたれ乱れ刃に互の目を焼き、素晴らしく明るく覇気ある刃を焼いて応永備前の素晴らしい名刀となっています。応永時代の備前長船の刀を研究するには典型的でもってこいです。鞘書きに有名な佐藤寒山先生が、備前家助但し生無銘なりと書かれ、原型を保ったことが本刀の価値を一層上げています。典型的な備前長船の刀を研究したい人に、今回世の中に初めて出たために格安にてご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
丸 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 兼保 |
江戸 末期 |
65.7 | 1.7 | 0.76 | 長さ2尺1寸7分 陸奥の兼保は奥州三春住兼保と銘を切る刀匠です。時代は幕末慶応頃(1865年)(150年前)です。本刀の姿は中間反りの優美な刀姿で、深く掻かれた棒樋がはばき元で丸留に止められ、その為にきりりとした凛々しい刀姿となっています。地金は小板目肌素晴らしく明るく良く詰み、刃紋は家伝の孫六兼元の趣のある三本杉を整然と見事に焼き上げており、兼保刀匠の技量の高さが判ります。中心も関の刀匠の特徴である鷹の羽違いに鑢を切っている所を見ると、元々関の刀工が幕末に奥州三春に招かれ移住したものと思われます。残念ながら明治の廃刀令の為に、兼保刀匠の刀が大変少なく、本刀は大変貴重な刀です。今回生で出たために格安にてご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 現代 | 68 | 1.9 | 0.76 | 贈為紀念長山武俊君 明治三十四年九月一日 歩兵第37連隊将校団 長さ2尺2寸4分 本刀は日本刀剣博物館寄託品として長年東京の日本美術刀剣保存協会にお預けしていた刀です。大阪歩兵37連隊は明治29年創設明治31年軍旗を下賜された勇猛果敢な連隊です。帝室技芸員月山貞一は大坂月山の名声を今日まで高めた大名工として余りにも有名です。本刀は相州正宗を写した素晴らしい名刀です。姿は鎌倉時代の優美な姿を現し、刃紋はのたれ乱れに金筋や砂流しを交え素晴らしく覇気があり地景が現れ正宗を見事に再現いたしております。彫りも名人で本刀にも表に力強い独鈷付剣と棒樋、裏には棒樋を上手に彫り一層本刀の価値をいやがうえにも上げています。帝室技芸員(人間国宝)月山貞一の代表作の1口です。お楽しみ下さいませ。 |
特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 津田越前守助廣 延宝二年八月日(と銘あり) |
江戸 初期 |
60.9 | 1.3 | 0.72 | 長さ2尺1分 一生の内に是非持ちたい刀の1口が大坂新刀の横綱津田越前守助廣の刀です。助廣は刀剣界羨望の的の名刀です、本刀は小板目肌良く詰んで、地にえが微塵に厚く付き、地景が細かに入り、刃紋は互の目乱れ刃、乱れに大変変化があり、砂流しを至る所に現し、飛び焼きを見事に焼き上げています。江戸時代の昔はこの刀も津田越前守助廣として武士に大切に持たれていたものでしょう。拵えも江戸期の立派な拵えがそれを証明致しております。この度世の中に初めて生で出たために多少の拵えに傷みも有りますが格安にてご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | 希 | 拵え | 売約御礼 | |
短刀 | 伝平安城弘幸(片切刃造) |
江戸 初期 |
32.8 | 0.4 | 0.58 | 長さ1尺8分 堀川国廣の弟子である平安城弘幸であろうと思われる寸延び短刀です。姿は堀川国廣一門の独特な片切刃造の姿で、地金は板目肌が良く詰み力強い地金を鍛え、刃紋は匂出来の元から先までむらの無い直刃をきりりと焼き上げ見事です。片切刃造は刀匠に聞きましても作るのが大変難しいものとの事で、在銘で現存しているのはほとんど名工の作です。本短刀の拵えも素晴らしく、鞘は黒に近い茶漆塗鞘に巴紋を透かし、柄は鯨の髭で上手に巻き五三の桐の出目貫が付いています。家紋からすると丹波九鬼家1万9千5百石に繋がる武士の差料であったかもしれません。今回世の中に初めて生で出たために格安にてご提供いたします。片切刃造の素晴らしい寸延短刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 大和大掾藤原貞行(軍刀拵) |
江戸 初期 |
53.7 | 1 | 0.71 | 万治頃1658年の豊後の名工、後に大和守を受領。本脇差は小板目肌良く詰んで地にえが付き、かすかに映りが現れ、古調な地金を鍛え出来が良い。刃紋は小にえの付いた直刃をむらなく良く焼き上げ姿豪壮な姿を現しています。家伝の家宝の名刀を、軍刀拵えに誂え、本刀はいざ日本の国を守る軍人の日本国の為に命を捧げる覚悟の心意気が聞こえてきます。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 濃州関住服部正廣作(陸軍軍刀拵付) |
現代 | 63.6 | 1.5 | 0.79 | 長さ2尺1寸 服部正廣刀匠も昭和時代の刀工で、戦後は日本刀鍛錬に関わらなかった刀匠でしょう。戦後の作品が残っておりませんが、本刀は小板目肌良く詰み、刃紋は孫六兼元の三本杉を上手に焼き、孫六兼元写の刀を見事に鍛え上げています。本陸軍軍刀拵えは本来革の鞘を現在の鞘に巻いていたもので、戦後痛んで革の鞘がぼろぼろになり無くなってしまいました。反対に革鞘の中身が判り大変参考になる拵えです。命を懸けてお国に尽くした陸軍軍人の魂の刀を大切にいたしましょう。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 則光(加賀) |
室町 末期 |
45 | 1.2 | 0.79 | 長さ1尺4寸8分5厘 加賀天文(1532年)頃の則光の脇差です。姿は順状な脇差姿で、地金は小板目肌良く詰み、やや黒ずんだ地金が北国地金を現わし、刃紋は備前風の腰の開いたのたれ乱れに互の目刃を焼き独特な刃紋を焼いて、個性を現しています。加賀の古刀則光の現存作少なく大変貴重な脇差です。本来は備前の則光が有名な為に今までは備前国の則光とされていたものと思われます。今回初めて生で出てきたために格安にてご提供いたします。加賀古刀則光をお楽しみください。 |
店 | △ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 伝越前関(陸軍軍陣刀拵付) |
江戸 初期 |
58 | 1.4 | 0.56 | 長さ1尺9寸1分 寛文1661年頃の越前の刀工です。代表刀工は越前康継、長曽根興里入道虎鉄、等々名工を多く排出致しました。本刀も反りの深い優美な姿で、地金は板目肌が強く鎬に柾肌が多く現れ、地金が北国地金でやや黒く輝いています。刃紋は互の目乱れ刃に砂流しが現れ、切っ先の方は生で出たために良く判りませんが、大変覇気有る刃を焼いています。長年の戦国時代も収まり、世の中は平和を満喫していた時の刀です。本刀は命を懸けて日本を守る武士であるところ陸軍将校の為に軍陣刀としてお国の為に尽くした名誉の刀です。今回初めて世に出たために格安でご提供いたします。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 伝丹波守吉道(御祝差) |
江戸 中期 |
32.7 | 0.6 | 0.52 | 長さ1尺8分 本脇差は丹波守吉道の後代です。いわゆる御祝差です。地金は小板目肌良く詰み明るく冴えています。刃紋は沸出来ののたれ乱れ刃に飛焼きも現し、砂流しを交え大変覇気有る刃を焼いています。丹波守吉道初代は志津三郎兼氏九代の末葉と称する、父兼道に伴われ兄伊賀守金道と共に兄弟4人が上京幕末まで京五鍛冶として繁栄した刀工です。本丹波守吉道の代別は判りませんが姿かたちから五代目あたりでしょうか。京都の旧家から生で出てきたために錆びや鎬に鍛え疵もありますが目貫が特に銅地で表は竹刀に面の高彫、裏は竹刀に胴の高彫の目貫が見事です。格安価格にてご提供いたします。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 長幸於摂津国作之(多々良長幸)(大業物) |
江戸 初期 |
69.7 | 2.3 | 0.66 | 長さ2尺2寸9分 長幸はあまりにも有名ですが、現存作がどう言う訳か無く、古来幻の刀の1本に入ります。本名多々良四郎兵衛。天和(1681年)(333年前)紀州から大坂に移住。河内守康永門、「大坂石堂」と称される中の代表刀工です。本刀は末備前写の名刀です、姿は備前伝腰反で姿良く、地金は板目肌良く詰み明るく鍛え、乱れ映りを地に見事に現し、刃紋は腰の開いた複式互の目丁子刃を高々と焼き上げ見事です。この様に素晴らしく上手な刀工の為に、江戸期は銘を消され大名物とされる備前一文字の刀にされた為に、多々長幸銘の刀が残っていないのでしょう。少なくて貴重な多々長幸の名刀をお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
太刀 | 城慶子正明精鍛(花押) 明治二巳年冬十一月日試左右及棒 |
現代 | 70.7 | 1.3 | 0.7 | 本名竹村恒次郎。細川正義門。作州津山藩工の城慶子正明は細川正義門の代表刀工で上手です。本刀は姿素晴らしく優美で、地金は小板目肌良く詰み、素晴らしく力強い地金を鍛え、刃紋は匂い出来で小沸が付いた備前伝互の目丁子刃を変化有る覇気有る素晴らしい大胆な刃を焼き成功しています。本刀は左右面を試しその上樫の棒を断ち切ったとの素晴らしい切味の試銘が本刀の真価を現しています。城慶子正明の古来から有名な代表的作品の刀の1本です刀。時あたかも明治維新を迎え、新たな武士の意気込みが充ち満ちて刀に現れた歴史を感じる名刀です。時代からしますと城慶子正明の卓美を飾る刀になります。お楽しみ下さいませ。 | 丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 平安城住藤原国武(堀川国廣門)(藤代義雄著 日本刀工辞典所載) |
江戸 初期 |
70 | 1.2 | 0.74 | (志津写)(業物) 京室町時代の三条吉則の末と言われ、巨匠堀川国廣の門、出雲大掾吉武の父と言われています。業物として有名です。本刀は大変貴重な現存作が有る有ると言われながら、今まで出てこなかった平安城住藤原国武の刀です。姿は古刀期の姿を現し、地金は板目肌流れて地沸が付き一部鍛えの荒い所も有りますがそれも見所です、刃紋は当時慶長新刀で流行った、相州伝の志津写の独特なのたれ刃に迫力があり、砂流しを交えて刃中良く働き見事に焼き上げています。日本刀工辞典所載の古来有名な名刀です。お楽しみ下さいませ。 ※特別保存刀剣合格済。鑑定書は届き次第掲載いたします。 |
特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 清光作(加州) |
室町 末期 |
69.4 | 1.3 | 0.72 | 本刀は天文1540年頃の四代目加州清光(藤二郎清光)です。陸軍大将東条英機閣下の軍刀として有名です。本刀は元は2尺5寸あった豪刀です。戦国武将の息吹が感じられます。姿は反りが浅く切っ先が延び、地金は板目に柾が交じり肌立ち、地色がやや黒ずみ映りが現れ、刃紋は互の目乱刃れを変化の有る刃を焼き覇気有る刃を焼いて好感が持てます。素晴らしくにぎやかで華やかな刃を焼いています。昔から加州清光は良く斬れることで有名で業物に数えられております。拵えも素晴らしく、鞘は波千鳥の高蒔絵を思う存分散し、鍔は尾張時計の図が付けられています。今回お持ち主様の御好意で破格の価格でお譲り申し上げます。 | 店 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 雲州住貞法作之 昭和六十一年八月日(島根県重要無形文化財) |
現代 | 71.3 | 1.8 | 0.77 | 長さ2尺3寸5分 重量鞘を払い1,050g、互の目丁子刃素晴らしく良く出来ています。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 備前国住長船清光作 永禄十二年八月日 |
室町 末期 |
75.5 | 2.1 | 0.82 | 長さ2尺5寸 永禄十二年1569年(446年前)時あたかも織田信長が2回目の入京後1年目、姉川の戦いの前年、織田信長が天下布武を唱えて各地で勇ましく戦っている時の、備前長船清光中の名工孫右衛門尉清光の作です。この刀工が清光の中でも特に上手です。本刀はやや腰反りで元幅と先幅の差の少ない切先の延びた長寸の豪壮な姿を現し、板目肌良く詰みこまかな地沸が付き、乱れ映りが現われ、刃紋は匂出来の清光独特の直刃崩れ直刃に互の目を交え大変覇気有る見事な刃を焼き上げています。大変健全な名刀です。江戸時代はこの様な名刀を持つ者は高級武士しか持てなかったものです。質実剛健な拵えは鞘に時代の為に少々傷みも有りますが大変参考になります。今回初めて生で出たために格安にてご提供いたします。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 於南紀重国造之(二代) |
江戸 初期 |
71.3 | 1.8 | 0.6 | 長さ2尺3寸5分 初代南紀重国と同じく、紀州藩藩工。明暦から寛文の作刀が有ります。銘に文珠と切るので文珠重国と呼んでいます。紀州藩主徳川頼宣の相手鍛冶を務めました名門刀工です。本刀は父重国と同じ銘を切っていますので本来は父初代南紀重国の作かもしれません。刀姿すこぶる上品で良く、は地金は板目肌良く詰み、刃紋は直調の刃紋に上品な互の目の足が入りこの様な刃紋を入れる事の出来る刀工は古来名人と呼ばれています。初代かもしれないし、今は二代南紀重国としておきますがの傑作刀です。お楽しみ下さいませ。今回世の中に初めて出たために研究課題の名刀として格安でご提供いたします。 |
丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 雲州住貞永作之(島根県重要無形文化財) |
現代 | 75.6 | 1.8 | 0.59 | 平成二十六年十二月日 長さ2尺4寸9分5厘 重量鞘を払い920gr、備前福岡一文字写 互の目丁子刃良く出来ています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝越前国兼植(慶長新刀)(良業物) |
江戸 初期 |
70.3 | 1 | 0.8 | 兼植は越前兼法の一流で、本刀は姿豪壮で元身幅と先身幅の差が少ない切っ先の延びた慶長新刀姿で、地金は小板目肌良く詰み強い地金を鍛え、刃紋はのたれ乱れ刃ちじに乱れ、大変覇気有る刃を見事に焼いています。所謂、南北朝期の美濃志津写しの名刀です。拵えも大変地味ですが江戸期の鉄地金具が付いた拵えが素晴らしく一層本刀に花を添えています。加賀前田百万石ではこの兼植の脇差を正月の間武士に城門の前で門松代わりに帯びさせていた事でも大変有名な刀です。御めでたい刀を是非お楽しみください。 |
丸 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝因州兼先(業物) |
江戸 初期 |
70 | 1.8 | 0.77 | 長さ2尺3寸1分5厘 本国は美濃、後各地に移住しています。特に新刀期には鳥取池田藩の招きで因州鳥取に移住した兼先が幕末まで活躍しています。本刀は反り浅く豪壮で堂々とした姿を現し。地金は板目肌良く詰み柾肌も交え、刃紋は沸本位の互の目刃をちじに乱れて大胆に焼き、金筋や砂流しを現し明るく上手に焼き上げています。鍛錬方法から地味な造りですが、このような刀が古来物切れする刀の代表的な刀です。拵えも江戸期の拵えが本刀を一段と華やかに飾っています。業物として名高い伝因州兼先の名刀をお楽しみ下さいませ。 |
丸 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝九州肥後同田貫 |
室町 末期 |
68.6 | 1.8 | 0.75 | 長さ 2尺2寸6分5厘 本刀は天正頃1580年(435年前)世にあまりにも有名な九州肥後同田貫の名刀です。子ずれ狼で肥後同田貫は全国的に有名です。同田貫一派は戦国時代に一門が栄え文禄の役には加藤清正に従って渡海朝鮮で鍛刀したとも伝えられています。本刀は反り深がく元先の差がそれほど多くなく切っ先の延びた豪壮な姿を現し、地金は板目に柾まじりで力強く鍛え、刃紋はのたれみだれ刃、ちじに乱れ金筋が働き大変良く出来て覇気が有ります。拵えも江戸期の家紋の金具が付いた拵えが本刀に一層華を添えています。現在人気第一の肥後同田貫と思われる名刀をお楽しみください。今回前の御持ち主様の御好意で格安にてご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | △ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
脇差 | 伝大和志津(志津三郎兼氏) |
鎌倉 末期 |
54.5 | 1.5 | 0.65 | 長さ1尺8寸 大和志津は兼氏が濃州志津に居住する以前、包氏と銘していた鎌倉末期大和在住時代の作を指すもので、本脇差は姿は身幅広く豪壮な姿を現し切っ先は猪首切っ先となり、地金は板目肌が流れ、刃紋は志津風のたれ刃に互の目を交え刃中に砂流しが目立ってかかり。且つぼうしを掃きかけているところに大和志津とみる最大の特徴を現しています。砂流しや金筋が豊富にかかる鎌倉期の大和志津の名作を充分におたのしみくださいませ。今回生で世には初めて出たために格安にてご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 伝海部 |
室町 末期 |
73.9 | 1.5 | 0.63 | 長さ2尺4寸4分 薩摩波平系の鍛冶が阿波徳島に移住。応永(1394年)(621年前)師久を祖とする海部鍛冶が起こりましたが作品が大変少なく貴重です。名物横須賀郷は本阿弥光常が初め海部と極めて有った物が後に郷と極直し名物に加えられたと記録されるほどですので、海部と言っても馬鹿に出来ないものです。名物に岩切海部が有ります。本刀は永禄頃(1558年)(457年)前の海部の刀で、姿は豪壮で地金は小板目肌良く詰み力強い明るい地金を鍛え、刃紋はのたれ乱れ刃に激しく沸が付き、刃中激しく砂流しを現し、帽子は返りが深く鎬地にまで焼きを入れ素晴らしく覇気有る刃を焼いています。正しく郷を狙った名刀です。平安城鍔の付いたツナギは途中までで切られていますが本拵えが本刀を一段と華やかに飾っています。大変貴重な海部と極められた名刀をお楽しみ下さい。 |
保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 濃州住栗山兼明作 |
現代 | 69.1 | 1.5 | 0.78 | 長さ2尺2寸8分 本名栗山鍵次郎。岐阜県賀茂郡加治田村住。陸軍受命刀工。本刀は兼明刀匠渾身の作です。姿は刀姿良く、地金は小板目肌良く詰み力強い地金を鍛えています。刃紋は互の目乱れ刃ちじに乱れ古刀の趣のある素晴らしい刃を見事に焼き上げています。時あたかも日本の運命激動の時代、お国の役に立とうと兼明刀匠渾身の力で世に送り出した刀です。拵えも鯉口辺りに鮫皮で補強をして黒乾漆塗鞘が良く出来ています。柄は黒革に漆を塗り丈夫な柄巻を施し見事です。今回世の中に初めて生で出たために格安でご提供いたします。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 伝備州長船清光作 |
室町 末期 |
61.1 | 1.7 | 0.67 | 長さ2尺1分 永禄九年頃の作1566年(449年前)時あたかも桶狭間の戦いの後6年後位、織田信長が天下布武を唱えて各地で勇ましく戦っている時の備前長船清光であろう刀です。本刀は少しすりあがっている為に、腰反りはそれほど顕著ではありませんが、元幅と先幅の差の少ない切先の延びた姿を現し、地金は板目肌良く詰みこまかな地沸が付き、刃紋は匂出来の直刃に足が入り、刃中匂いで葉を現し大変覇気有る見事な刃を焼き上げています。彫は梵字と火焔不動、裏に梵字を彫り、一層本刀を華やかにしています。拵えは印籠鞘で朱塗りにし、簡素な拵えですが当時朱塗りの鞘を差せるのは上級武士しか差すこと出来ず、本刀も上級武士の差料であった事が判ります。伝清光の名刀を是非お楽しみくださいませ。前の持ち主様の御好意で格安にてご提供です。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
短刀 | 備後国三原住正廣 義信花押(朱銘) |
南北 朝 |
30.3 | 0.2 | 0.67 | 長さ1尺 南北朝時代から続く備後三原正廣です。南北朝期から備後三原正廣は業物として余りにも有名です。本短刀も元末の差が余りない南北朝時代の豪壮な短刀姿を現わし、地金は板目肌やや肌立ち力強い地金を鍛えて、刃紋は大和の趣のある直刃に金筋、砂流し、二重刃を現し、覇気有る刃を焼いて如何にも業物に相応しい短刀となっております。拵えも後藤派であろうと思われる金無垢かも知れない、腰の高い獅子の見事な目貫が素晴らしく、堅木造の江戸時代の拵えが本短刀を一段と華やかに飾っています。今回生で出たために刀身に少々錆びが出ていますが、それも御愛嬌です。超格安にてご提供です。お楽しみくださいませ。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
短刀 | 伝陸奥会津住三善長道(会津虎鉄の七代目) |
江戸 末期 |
34 | 0.5 | 0.73 | 長さ1尺1寸2分 本短刀は会津虎鉄と呼ばれた初代陸奥大掾三善長道から数えて七代目、時代は文政頃(1818年頃)(197年前)長道は代々藤四郎の名を襲名しています。本平造の寸延び短刀は地金は板目肌に柾目肌を交え、力強い地金を鍛え、刃紋は互の目刃を焼き一部に飛び焼きを現し、大変上手な刃を焼いています。彫も上手で、表に櫃内に真の剣巻龍を彫り、裏に梵字を彫って見事です。元々生無銘で出された短刀で長道の影打ちの1本でしょう。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 備前岡山住国宗 |
江戸 初期 |
45.6 | 0.9 | 0.63 | 長さ1尺5寸 多門兵衛正成の子、茂右衛門、江戸初期万治1658年頃。江戸では虎鉄が活躍し出した同じ頃、備前岡山で活躍した国宗です。地金は板目肌良く詰み、刃紋はのたれ乱れ刃、金筋や砂流が一面に現れ 大変覇気有る刃を焼いています。鎌倉時代の備前三郎国宗を先祖に持つ刀工。 祖先に負けない立派な脇差を打ち上げています。江戸時代の拵えも一段と本脇差に華を添えています。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 新刀関(美しい陸軍軍刀拵付) |
江戸 初期 |
63 | 0.8 | 0.74 | 本刀は姿はやや細見で反り浅く優美な姿をしており、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は直焼き出しを焼き互の目刃が規則正しく焼かれ尖り刃も交え刃中明るく良く出来ています。無銘なれども堂々とした刀です。拵えは未使用の陸軍軍刀拵えで、大変美しく、この様な拵えは現在では大変珍しく貴重です。お国に命を懸けて貢献した陸軍軍人の誇りとした、新刀関の刀身が入った美しい軍陣刀をお楽しみ下さいませ。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 兼以下切れ(善定兼吉)(添竹仕込み杖拵) |
室町 中期 |
45.8 | 0.9 | 0.6 | 長さ1尺5寸1分 善定兼吉の祖は南北朝時代大和から包氏と共に関に移住した手掻包吉の子で、その後応永時代に兼吉と改めました。代々明治時代まで続く名門鍛冶ですが門葉広く全国に兼吉の名が残っています。本脇差は室町中期頃の脇差で、地金は板目肌良く詰み、強い地金を鍛えています。刃紋は直刃を明るく焼き良く出来ています。帽子は素晴らしく上手に小丸に焼き見事です。添えられた竹の仕込み杖拵えが又風流です。初めて世に生で出たために地肌良くは見えませんが、格安で御提供です。如何にも業物の脇差です。お楽しみ下さい。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 兼元(孫六)(と銘有) |
57.2 | 1 | 0.65 | 長さ1尺8寸8分7厘 孫六兼元は戦国時代から大業物として良く斬れるとして余りにも有名です。名物波泳ぎ兼元は斬られた相手が向こう岸に着くまで切られた事が判らなかったほど切味が素晴らしいので名づけられた名物です。孫六兼元は末関鍛冶を代表する名工です。本刀は反り深く身幅頃合いで、重ねが心持ち薄目になり、平肉がつかず、地金は小板目に柾が交じって明るくさえ、乱れ映りが現れ、刃紋は沸のからんだ覇気有る三本杉を主調とした刃紋です。帽子は乱れ込んで上手に焼き上げています。銘は勢いがあり、角張った直線的な銘を切っていますが孫六の兼元の銘とやや異なりまた後代兼元とも違います今後の研究に待ちたいと思います。今回初めて世の中に生で出たので格安にてご提供いたします。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | ||
脇差 | 丹州住藤原宗治 |
江戸 初期 |
49.5 | 0.9 | 0.69 | 長さ1尺6寸3分3厘 宗治刀匠は大変珍しく刀工の名鑑に載っていません。所謂名鑑漏れの刀工です。名から考えますと武士の慰め打ちが考えられます。丹州は京都府北部現在の地名では京都府綾部市になりますので、宗治は綾部藩の武士でしょう。本脇差の時代は寛文頃(350年前)で鎬造の脇差姿、地金は板目肌に杢が交り鎬地に小さな打ち傷が有りますが、それも武士の不慣れの為の御愛嬌です。刃紋はのたれ乱れ刃にちじに乱れた刃を交え、金筋や砂流しを現し、大変覇気有る刃を焼いています。地刃から考えますと冬廣刀工あたりに手ほどきを受けているようです。江戸期の立派な拵えが本脇差に一段と華を添えています。武士が作ったであろう貴重な脇差をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 伝森岡正吉 |
現代 | 37 | 0.7 | 0.71 | 長さ 1尺2寸2分 本脇差は大切っ先の鎬造で鎬を薄くした利刀造の鋭い姿を現し、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目乱れ刃良く連なり元から先までむら無くにえが付き刃中素晴らしく明るく焼いています。彫は真の上り龍を見事に彫り上げています。森岡正吉は水心子正秀系統で月山貞吉の孫弟子にあたります。初無銘の脇差は陰打ちと称せられ、注文品を2口打ち上げその良きほうに銘をいれてお納めし残りをそのまま銘を入れずに世に残した物です。銘を入れればその分だけでも高く売れますが。昔の刀工は義理を重んじて1人の注文者の為に造ったので陰打ちは無銘にして安く出した物です。痛んだ古い拵えが付いていますが、金具が良く付いているだけでも有難いものです。今回世の中に初めて出たために格安でご提供いたします。 |
店 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 龍王子源貞次(人間国宝 高橋貞次) |
現代 |
68.1 | 2.1 | 0.74 | 梵字二月日龍王子源貞次 皇紀二千六百年三作之内 人間国宝(昭和32年指定) 明治35年愛媛県新居郡生。大正6年帝室技芸員月山貞一の門下に入る。昭和11年第1回新作日本刀展で総理大臣賞受賞。戦後昭和30年第1回新作刀展で特選第1位。昭和32年人間国宝に指定される。本刀は昭和15年皇紀二千六百年を記念して打たれた特別注文品の代表作3口の1本です。備中青江を写した名刀です。地金は小板目肌美しく詰み、刃紋は備中青江の逆丁子刃を元から先まで見事に焼き上げた快心作です。現代刀では一番上手と言われますが数が少ない人間国宝高橋貞次の名刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 阿波守藤原在吉(堀川国廣門)(藤代義雄日本刀工辞典・鑑刀随録所載) | 安土 桃山 |
68.1 | 1.3 | 0.7 | 堀川国廣門下でも一番古い弟子で国廣の代作者。重要美術品の長義写しの刀は国廣の長義写しの山姥切りの刀と殆んど同作。国廣のそばに居たことは明白です。国廣の代作者の為、阿波守在吉銘の刀はこの刀を入れて2口今回この刀の新発見で3口。薙刀短刀全部合わせても10口も現存していない貴重な刀です。本刀は切っ先の伸びた反りの浅い慶長新刀の姿で地金板目に肌立ち心ざんぐり肌で地にえ良く付き、刃紋はのたれに互の目交じり小にえよく付き足が入り帽子は焼きずめて堀川国廣の名刀を髣髴とさせる素晴らしい出来です。国廣が山伏となり漂泊中付き従った弟子阿波守在吉は松尾芭蕉と弟子の曽らとに称えられています。 | 特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 横山加賀介藤原祐永(来国俊写) |
江戸 末期 |
72.4 | 1.6 | 0.76 | 横山加賀介藤原祐永 天保十四年二月日 備陽長船友成五十六代孫 君万歳 加賀介祐永は備前長船鍛冶の幕末の最大の名工として余りにも有名です。本刀も祐永の代表作品。祐永としては大変珍しい来国俊を写した直刃の特別注文品です。姿は鎌倉時代の太刀姿を現し、地金はあくまでも澄んだ小板目肌を微塵の混じり気も無く鍛え上げ、刃紋は来の独特の元から先までむらの無い直刃を華やかに焼き上げ、君万歳と入れる刀は特に入念作で最高傑作となっております。祐永の名品をお楽しみ下さい。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 備前国住長船祐定(源兵衛尉祐定) |
室町 末期 |
67.8 | 1.6 | 0.79 | 喜多野為弥八郎作之 天文十八年二月吉日 天文十八年(1549年)はポルトガルから種子島に鉄砲が伝来して6年目。宣教師ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教を伝えた年です。本刀は与三左衛門祐定の長男源兵衛尉祐定であろう祐定の戦国武将喜多野弥八郎からの特別注文の名刀です。本刀は地金板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目刃、蟹の爪の刃を交え、地に煙り込むような素晴らしい刃を焼き、見事です。拵えも見事な拵えが本刀に一段と華を添えています。お楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 越前国兼植(良業物) |
江戸 初期 |
73.2 | 1.4 | 0.69 | 越前兼法の一流で、本刀は姿豪壮で地金は小板目肌良く詰み強い地金を鍛え、刃紋は丁子乱れ刃ちじに乱れ、大変覇気有る刃を見事に焼いています。所謂、南北朝期の美濃 志津写しの名刀です。拵えも大変地味ですが江戸期の上の字の家紋の特別注文品の金具が付いた拵えが素晴らしく一層本刀に花を添えています。加賀前田百万石ではこの兼植の脇差をお正月の間武士に城門の前で門松代わりに帯びさせていた事でも大変有名な刀です。御めでたい刀を是非お楽しみください。 | 丸 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
短刀 | 陸奥守大道作(金道父)(大和志津写) |
室町 末期 |
27.2 | 0 | 0.59 | 陸奥守大道は伊賀守金道等三品4兄弟の父で、初銘を兼道と銘しています。永禄12年(1569年)に自作刀を正親町天皇に献上し、その功に「大」の字を賜り大兼道と銘しています。永禄12年から天正の初め頃までに陸奥守を受領し大道と改名しています。文禄2年(1593年)二条関白下向の節、金道初め兄弟4人を従えて上京しました。本短刀は小板目肌良く詰み、刃紋は直刃に二重刃を現し変化を見せ、志津三郎兼氏九代の孫と言う所伝を肯定さす、本国大和伝の短刀を見事に写して成功しています。末関の中でも素晴らしい名工として有名です。拵えは江戸中期の合口拵えが一層華を添えています。大変貴重な陸奥守大道の短刀をお楽しみ下さいませ。 | 丸 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
薙刀 | 阿波守在吉 |
江戸 初期 |
47 | 1.8 | 0.98 | 堀川国廣門下でも一番古い弟子で国廣の代作者。重要美術品の長義写しの刀は国廣の長義写しの山姥切りの刀と殆んど同作。国廣のそばに居たことは明白です。国廣の代作者の為、阿波守在吉銘の薙刀はこの薙刀を入れて2口今回この刀の新発見で3口。薙刀短刀全部合わせても 10口も現存していない貴重な薙刀です。本刀は切っ先の伸びた反りの深い慶長新刀の姿で地金板目に肌立ち心ざんぐり肌で地にえ良く付き、刃紋はのたれに互の目交じり小にえよく付き足が入り帽子は小丸。堀川国廣の名刀を髣髴とさせる素晴らしい出来です。国廣が山伏となり漂泊中付き従った弟子阿波守在吉は松尾芭蕉と弟子の曽らとに称えられています。 | 特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | (枝菊紋)近江守源久道嫡子源来久次(大阪城展示品) |
江戸 初期 |
61 | 2 | 0.7 | 二代伊賀守金道門、三品姓を許されれて久道と銘する。中心に枝菊紋を切り添える。本刀は姿反り深く、地金は板目肌素晴らしく沸良く付き、強い地金を現わし。刃紋は互の目刃を高らかに焼き上げ、元より先までむらなく良く焼き業物と称するだけの最高傑作品の名刀です。枝菊紋が当時としては大変斬新な物で、人気刀工の一人です。お楽しみ下さいませ。 | 特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 因幡士植村元一 |
江戸 末期 |
65.1 | 1.9 |
0.8 | 天保十四年 植村長右衛門元一、浜部寿格(としのり)の門。寿格は目置兼先に学び因幡藩工となり、江戸に出、鎌田魚妙に師事、因幡藩藩主池田家と備前池田家の姻戚関係により長船に学び備前伝を学ぶ為に、浜部と備前鍛冶には華やかな互の目丁子刃が多い。元一は因幡藩藩士の武士でありながら本刀の様に浜部寿格に負けない、地金小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目丁子素晴らしく明るく焼き上げて、刀匠としても一流の作です。江戸肥後の鍔と、鉄一作金具の付いた天保時代そのままの拵えが一層本刀に華を添えていますお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
脇差 | 和泉守兼重(虎鉄の師) |
江戸 初期 |
52.7 | 0.9 | 0.63 | (宮本武蔵の紹介で藤堂和泉守高虎の抱え刀工になりました。宮本武蔵有縁の刀工としても有名です。) 虎鉄の師と言われる和泉守兼重が寛永初年江戸に出て宮本武蔵の紹介で藤堂家に抱えられ藤堂高虎が和泉守の為、主家に遠慮をして和泉守から上総介を名乗ったとされていたが、最近の研究で和泉守兼重が父で上総介は子で虎鉄の相弟子である。本脇差は大変数が少なく貴重な虎鉄の師である和泉守兼重の名脇差で、一時代上の慶長新刀に見える姿、地金は板目肌に柾目肌が交じり、刃紋は素晴らしい奔放なのたれ刃を焼き覇気が有ります。虎鉄の初期作を見るがごとくの素晴らしい脇差です。幻の虎鉄の師和泉守兼重の名脇差をお楽しみくださいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 室町 末期 |
64 | 1.4 | 0.61 | 鎌倉が衰退して新たに天文頃(1534年頃)小田原に北条氏が起こるに及んで、この小田原に相当数の刀工が集まりこれを小田原相州と呼んでいます。本刀は代表刀工相州綱廣と思われる、切っ先のやや延びた力強い姿に、地金は杢目肌に鍛えて、刃紋は焼き幅広く、沸本位で大乱れ刃に全面に皆焼刃を焼き、丸い飛焼きを見事に焼き上げ相州伝皆焼刃の代表的刀となっています。皆焼刃は大変刀身の全てに焼きが入る為に、鍛え方と材料の地金が相当良くなければ、もろく折れてしまいます、皆焼刃を焼ける刀工は大変入念に作ならければならず、相当の腕の持った名工です。相州綱廣と思われる皆焼刃の名刀をお楽しみ下さいませ。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 濃州関住二十三代藤原兼房作之(岐阜県重要無形文化財) |
現代 | 62.2 | 1.4 | 0.64 | 長さ2尺5分 本刀は片手抜き打ちに適した2尺5分の姿素晴しく良い刀です。地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目刃を見事に揃えて素晴しく良く焼かれ、匂が深ぶかとし、刃中素晴らしく明るく良く出来ています、二十三代兼房刀匠の快心作です。兼房二十三代は代々室町期より続く名門刀工です。二十三代兼房は名工の誉れ高く良い作品を現代に残しておられます。岐阜県重要無形文化財に指定された名人です。拵えも健全な拵えが本刀に一段と華を添えています。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 江戸 末期 |
66.8 | 1.9 | 0.8 | 享保六年1721年全国から当時の腕利きの名匠が選ばれその中でも薩摩藩が推薦した一平安代と主人正正清が優勝し選ばれ八代将軍徳川吉宗の佩刀を江戸浜御殿で鍛え将軍徳川吉宗大層気に入り、一ッ葵紋を授けました。本刀は残念ながら希望銘ですが、薩摩新々刀の刀に後世一平安代の銘を入れたものでしょう。板目肌良く詰み地にえ付き、刃紋は互の目に沸が付き、芋ずるが現れ、砂流しかかり、派手な刃紋を良く焼いています。拵えも柄にがたが有りますが、御愛嬌にお添えに付けていたものでしょう楽しめます。一平安代の銘ある御刀をお楽しみ下さいませ。 | 店 | 希 | 白鞘 拵え |
売約御礼 | ||
短剣 | 海軍短剣(伝新刀短刀付) |
江戸 初期 |
19.2 | 0 | 0.41 | 長さ6寸3分3厘 ああの顔であの声で、で始まる海軍予科練の歌はあまりにも有名です。その上の海軍兵学校を卒業する時に本短剣の授与がおこなわれ海軍士官としての自覚と誇りをそして国の守りに命をかけて戦いました。海軍の白い夏服の制服と海軍士官のシンボルの本短剣は日本国中の憧れの的でした。勉強が出来、身体強健のものは第一に海軍兵学校を受験したものです。日本を命をかけて守った海軍軍人の魂を感じ取ってください。本海軍短剣に江戸期の短刀を中身に仕込んだ特別誂え品です。保存が良く今出来たばかりの様に見えるぐらいの素晴らしく綺麗な貴重な海軍軍刀です。お楽しみ下さいませ。 |
店 | △ | 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 鎌倉 末期 |
77.2 | 2.4 | 0.7 | (大和千手院は貴重な刀です) 長さ2尺5寸4分半 大和の最も古い刀工集団で大和の千手院に所属していた寺院鍛冶です。本刀は鎌倉末期(正中頃)(1324年頃)(約700年前)の千手院の刀で姿は元に踏ん張りが有り、反りが深く先反りが無く、小切っ先の鎌倉期の太刀姿を現した生無銘の貴重な太刀です。姿は地肌は板目に流れ柾が交じって細かな地沸がつき。刃紋は小沸出来の小乱れに丁子が交じり刃中に砂流しや金筋が交じり刃中相州正宗が手本にしたと言われる、大和上工の作で、ちじに乱れ、素晴らしく覇気が有る刃を焼いています。大和千手院の刀の生の姿の現存刀は非常に少なく本刀は大変貴重な名刀です。お楽しみ下さいませ。 |
特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
太刀 | 鎌倉 末期 |
64.1 | 2 | 0.66 | 長さ2尺1寸1分 鎌倉時代正応(1288年頃)(727年前)備前国福岡一文字助吉が吉岡の地にて吉岡一文字の祖となったために吉岡一文字の名声が天下に鳴り響きました。その後鎌倉時代末期まで吉岡の地で素晴らしく繁栄いたしました。本刀は太刀姿素晴らしく上品で良く、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、地沸がみじんにつき、乱れ映り見事に立ち、刃紋は丁子刃、互の目刃に足が良く入り匂い深く、小沸良く付き大変覇気有る見事な刃を焼いています。本吉岡一文字の太刀は鎌倉中期時代の福岡一文字の華やかな太刀をそのままとどめた見事な太刀となっています。鎌倉時代の刀の華と言われる吉岡一文字の貴重な太刀をお楽しみくださいませ。江戸期の拵えが本太刀に一段と華を添えています。 |
特 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | ||
刀 | 江戸 末期 |
75.4 | 2.2 | 0.85 | 長さ2尺4寸8分 アメリカの黒船来航6年前、時あたかも日本沿岸に外国船が遊弋する時代、武備を整えるべく源清麿初め、幕末の刀工が素晴らしく活躍する弘化四年(1847年)(168年前)の作。加賀介祐永は備前長船鍛冶の幕末の最大の名工として余りにも有名です。本刀も姿は鎌倉時代の豪壮な太刀姿を現し、地金はあくまでも澄んだ小板目肌を微塵の混じり気も無く鍛え上げ、刃紋は掟通りの直刃の焼き出しから備前伝互の目丁子刃や重花丁子刃を交え素晴らしく覇気有る得意の刃を元から先までむらの無い刃を華やかに焼き上げ、祐永の最高傑作品となっています。 |
丸 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
刀 | 濃州住寿命 |
江戸 初期 |
64.2 | 0.8 |
0.8 | 古来寿命程刀剣界で有名な刀は無いでしょう。古来より寿命が長くなるとのお祝いに縁起物として、本刀寿命が大いに喜ばれ大名間でも大いに贈刀に用いられたものです。本刀は慶長(1600年)頃の寿命です。近藤助左衛門。初めは濃州清水に住み、慶長の中頃に尾州清州に移ります。寛永5年名古屋に移りこの頃に丹後守を受領しました。本刀は姿は身幅広く堂々とした姿をし、地金は小板目肌が良く詰み、刃紋は互の目刃に尖り刃を交え、刃中明るく覇気があり良く出来ています。帽子は美濃の典型的な地蔵帽子となって上です。拵えも江戸期の豪華な拵えが御めでたい寿命の本刀に一段と華やかに飾っています。寿命の名刀をおたのしみくださいませ。 | 丸 | ◎ | 白鞘 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 於備前国長船伸咲作之(人間国宝隅谷正峯弟子) |
現代 | 72.2 | 1.8 | 0.81 | 平成三年正月吉日 長さ2尺3寸8分 本名赤松伸咲、昭和34年岡山県生。長船町立備前長船博物館学芸員を経て、人間国宝隅谷正峯先生に入門すると言う異色の人気刀工です。新作刀展では特賞始め数々の賞を総なめにする実力刀工です。本刀は姿は備前の腰反りを現し、地金は小板目肌良く詰み、刃紋は匂出来の師匠譲りの隅谷丁子と言われる大きな、刃の高い互の目丁子に足を交えて明るく焼き上げ見事です。伸咲刀匠刀は林原美術館で買い上げる為に世にあまり出ること少なく貴重です。是非名刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 関住兼正作(岐阜県重要無形文化財) |
現代 | 69.4 | 1.7 | 0.76 | 昭和五十六年尚武月 長さ2尺3寸、重量 鞘を払い1,177gr 大野正巳、大正12年生まれ。兼正刀匠は刀の中で最も難しいと言われる鍛錬方法の四方詰鍛えの第一人者として大変有名な名工です。古来四方詰は傷が多く出るために強靭な刀になりますが、四方詰の鍛法は源清麿以外今日まであまりやられていません。兼正刀匠が果敢に挑戦しております。本刀も四方詰で作られ、地金は板目肌力強く鍛えられ、刃紋は互の目乱れ刃を焼き現代刀とは思われない、小足が見事に入り面目躍如の名刀となっています。兼正刀匠は昔から、自分の気に入らない客には絶対に刀を打たなかった刀匠としても有名でした。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 葵紋康継於越前作之(土佐山内家伝来) |
江戸 末期 |
70.9 | 1.2 | 0.71 | 長さ2尺3寸4分 本刀は越前九代市之丞康継(文久)(1861年)(154年前)位でしょうか、越前家の卓尾を飾る名匠です。姿は幕末大切っ先で豪壮な姿を現し、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、明るい地金を鍛え、刃紋は直調ののたれ乱れ刃に二重刃や互の目や互の目の足が入り金筋を交え素晴らしく覇気有る刃を焼いています。彫は表は腰樋に添え樋に梵字、裏も腰樋に添え樋に梵字を見事に彫り上げています。江戸期の豪華な拵えが一層華を添えています。高知山内家伝来と言い伝えられて登録番号も大名登録の高知第204号昭和26年4月26日となっており山内家伝来がうなずけるものです。今回は初めて生で世の中に出たために御持ち主様の御好意で九代越前康継の研究もまだ刀剣界では充分では有りませんので格安にてご提供です。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝孫六兼元(新刀) |
江戸 初期 |
71 | 1.2 | 0.92 | 長さ2尺3寸4分 孫六兼元は末関鍛冶を代表する名工です。本刀は代々続く新刀期の孫六兼元です。身幅が広く、重ねが厚く平肉がたっぷりと付き、地金は小板目に柾が交じって明るくさえ、切っ先に時代の少々痛んだところがりますがそれも御愛嬌です。刃紋は沸の付いた素晴らしくむらの無い三本杉を焼いた見事な刃紋です。拵は幕末の勤皇の志士が好んで差した、鞘は黒乾漆塗鞘に家紋を蒔絵で現しているところから豊後大野郡岡藩7万4百40石中川家の縁者の方の刀かもしれません、柄は幕末の勤皇の志士が特に好んだ9寸5分もある長大な柄に、目貫が三ヶ月と三星との大変粋な目貫を付け、尊皇攘夷を唱え活躍した勤皇の志士が都大路を本刀を差して東奔西走したであろうことは明白です。この様な幕末の立派な拵えに入った刀は現在少なく大変貴重な刀です。時あたかも幕末動乱期回転の夢抱く大名の縁者の志士に思いを馳せて、本刀を是非お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 河内守国助(中河内) |
江戸 初期 |
70.4 | 0.3 | 0.75 | 長さ2尺3寸2分 初代国助の子中河内と尊称され大坂新刀で助廣や真改とともに素晴らしく有名な名工です。又その華麗な刃紋から新刀一文字と呼ばれています.本刀は元は2尺5寸あった長寸の刀を後世の武士が自分の得意の寸法に短くした刀で、反りの少ない寛文新刀姿を現し、地金は小板目肌良く詰み所々鍛え肌も現れ、覇気有る地金を良く鍛えています。刃紋は匂い出来の互の目丁子刃を飛び焼きも交え奔放に焼き、古刀の備前福岡一文字の様に素晴らしく覇気有る刃を焼いています。今回世に初めて出たために格安にてご提供いたします。河内守国助の名刀を是非お楽しみください。 |
丸 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 室町 末期 |
63.7 | 2.4 | 0.73 | 本刀は天文1540年頃の四代目加州清光(藤二郎清光)です。陸軍大将東条英機閣下の軍刀として有名です。本刀は反りが深く地金は板目に柾が交じり肌立ち、地色がやや黒ずみ白気映り心有り、刃紋はのたれ刃に互の目乱れを交え変化の有る刃を焼き尖りも現し、すこぶるにぎやかで華やかな刃を焼いています。昔から加州清光は良く斬れることで有名で業物に数えられております。今回お持ち主様の御好意で破格の価格でお譲り申し上げます。 | 保 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | ||
太刀 | 二代源良近作之(皇宮衛士専属の刀工) |
現代 | 69.7 | 2.2 | 0.76 | 長さ2尺3寸 初代は三条宗近末孫と称する森久助。東京芝三島町住。大正から昭和にかけての作刀が有ります。本刀は昔から有るとは言われていましたが初代の代作をしていたために現存作非常に少ない、二代目の作です。初代二代ともに独自の刀を作り、切れ味の優れた点を高く称賛されています。皇宮の護る武官の差料は本刀の製作者初代と二代の良近の作刀が殆どでした。本刀は独特な猪首切っ先の姿を現し、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、刃紋は互の目刃素晴しく明るく良く出来ています。靖国刀匠は余りにも有名ですが。皇宮衛士の専属刀工も誠に誉れの高い刀工です。大変貴重な二代目源良近の太刀を是非お楽しみください。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 兼道作 紀元二千六百一年(孫六兼元写) |
現代 | 68.2 | 2 | 0.74 | 長さ2尺2寸5分 小島時二郎。明治35年7月生まれ。国工院名誉会員大宗匠。関の代表的刀工。初め善定兼吉門、後渡辺兼永門。門人が非常に多い刀匠です。本刀は昭和16年兼道刀匠39歳の脂の乗り切った時の名作です。姿は元身幅と先身幅の差の無い堂々とした姿を現し、地金は小板目肌良く詰み、地金強く鍛え、刃紋は互の目尖り刃を交え孫六兼元写の三本杉の刃を見事に元から先までむらなく焼き上げています。関の代表刀工兼道刀匠の刀をお楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 出羽大掾藤原国路 |
江戸 初期 |
50.1 | 1.6 | 0.64 | 長さ1尺6寸8分 京山城出羽大掾藤原国路は堀川国廣の高弟として余りにも有名な名工です。出羽大掾受領は慶長19年ごろと思われます。本脇差は国廣の慶長打ちと同じく身幅広くがっしりとし豪壮な姿で、後世に約五分程短くしていますが。地金は板目肌良く詰み、多少荒い鍛え肌も有りますが、刃紋は相州伝大互の目刃を奔放に豪快に焼き上げ、刃中金筋や砂流しを交え素晴らしく華麗で、にえ匂いの働き素晴らしく国路の真骨頂を現した名脇差です。慶長新刀の薫り高く神々しい脇差と成っています。帽子も地蔵帽子風ある三品帽子となりそれも国路の見所の一つです。出羽大掾国路寛永時代壮年期の最高傑作の脇差を是非お楽しみください。今回世の中に初めて生で出たために格安でご提供です。出羽大掾国路の傑作脇差をお楽しみ下さいませ。 |
丸 | ◎ | 白鞘 |
売約御礼 | |
刀 | 孫六兼元 |
室町 末期 |
71.3 | 1.7 | 0.66 | 長さ2尺3寸5分 孫六兼元は戦国時代から大業物として良く斬れるとして余りにも有名です。名物波泳ぎ兼元は斬られた相手が向こう岸に着くまで切られた事が判らなかったほど切味が素晴らしいかったとして名づけられた名刀です。孫六兼元は末関鍛冶を代表する名工です。本刀は大変貴重な特別注文品です。身幅広く、重ねが心持ち薄目になり、平肉がつかず、地金は小板目に柾が交じって明るくさえ、地にえみじんにつき、刃紋は匂い出来の素晴らしくむらの無い覇気有る三本杉を主調とした見事な刃紋です。帽子は乱れ込んで掃き掛けて上手に焼き上げています。銘は勢いがあり、角張った直線的な銘を切って孫六の兼元の銘となっております。現存作少なく貴重な孫六兼元をお楽しみ下さいませ。 |
保 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 脇差 |
備州長船祐定 永正十二年月 大原真守(大小拵付) |
室町 末期 室町 中期 |
66.7 45.1 |
2.1 1.7 |
0.72 0.66 |
大刀2尺2寸 小刀1尺4寸9分 本大小拵の刀は元々山形県米沢上杉家藩士の家に代々伝えられた大小拵えとの事です。大刀は備州長船祐定と小刀は大原真守の銘が入っています。大刀は姿は腰反り強い備前刀の姿を現し、地金は板目肌良く詰み、乱れ映りが現れ、刃紋は匂い出来の中直刃をむら無く見事に焼き上げています。小刀は大原真守の銘はあくまでも御愛嬌です。本来は反りの深い脇差姿を現し、地金は板目肌良く詰み、刃紋は互の目乱れ刃に沸が絡む因州兼先の脇差でしょう。拵えは大小鉄鍔柏の葉の図、縁頭は赤銅魚々子地梅の高彫を施し、目貫は赤銅地梅の図をあしらい、鞘がなんと鯨の髭を見事に巻き、その上を漆を塗り、見事な拵えとなっています。上杉家上級武士の差料であったであろう事が判ります。今回世の中に初めて出たために格安でご提供いたします。上杉家のどのような武士が差していたのか興味が尽きません、大変貴重な大小拵えをお楽しみ下さいませ。 |
店 店 | ○ 希 | 拵え 拵え |
売約御礼 | |
刀 | 肥後国八代住赤松太郎兼光作 以自家製鉄鍛之 写清麿 |
現代 | 76.6 | 1.8 | 0.8 | 甲午年八月吉日 長さ 2尺5寸3分 現代刀匠で余りにも有名な熊本県赤松太郎兼光の見事な幕末の名工源清麿写しの素晴らしい名刀です。大切っ先姿堂々として源清麿独特の姿を現し、互の目乱れ刃素晴らしく、刃中に金筋を現わし、勢い強く。地金板目肌素晴らしく鍛えられ、強靭この上もなく清麿が目指した強靭さと切れ味を今に再現した名作です。作者のなみなみならないこの1刀にかける意欲が現れています。源清麿写しの名刀をお楽しみください。 |
店 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 肥後住兼重(来国俊写) |
現代 | 75.5 | 1.9 | 0.78 | 昭和四十九年八月日 長さ2尺5寸 肥後熊本住木村兼重刀匠です。国工院会員名誉宗匠と言う大変名誉ある刀匠です。本刀は山城来国俊を写して鍛えています。身幅は広く、重ね厚く素晴らしい豪壮な姿を現し、地金は小板目肌素晴らしく良く詰み、力強い澄んだ地金を鍛え、刃紋は中直刃に互の目を上品に交え鎌倉時代京山城の名工来国俊の姿を現して素晴らしく上手です。本刀からも木村兼重刀匠の非凡な才能が良く判ります。兼重刀匠の名作を是非お楽しみ下さいませ。今回世の中に初めて出たために格安にてご提供いたします。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 伝越州国行(則重) |
南北 朝 |
27.4 | 0.4 | 0.57 | 長さ9寸 本短刀は昔から越中則重として伝わってきた名短刀ですが、現在の特別保存刀剣の鑑定では、同じ国の同じ時代の南北朝応安頃(1368年)(646年前)山城来国行の系統の千代鶴系の越州国行に鑑定されています。越州国行は越前に移住後、応安6年から7年の間に、美濃国赤坂に移住したとされています。本短刀は平造短刀で延文貞治型の元身幅が広く先身幅の差のすくなやや反りのある姿で、棟は相州伝の真の棟となり、彫物は表に腰樋と棒樋重ね彫、裏は護摩ばしを上手に彫り、地金は松皮肌風の板目が大いに流れ、刃紋は互の目乱れ刃に素晴らしく覇気有る変化を持たせ刃を豪快に焼き、刃中金筋が至る所に現れ、えも言われない上品さを備えた名短刀です。一見すると越中則重に間違いなく上研ぎをして再審をして下さい。 |
特 | ◎ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 濃州住兼辻(慶長新刀) |
江戸 初期 |
70 | 0.8 | 0.73 | 長さ2尺3寸1分 本刀は姿は2寸程すりあげられていますが、元は2尺5寸以上あった慶長新刀体配の反りの少ないやや切っ先の延びた姿の素晴らしい豪刀です。地金も板目肌良く詰み刃肉たっぷりと付き蛤刃の形状を現しています。棟には武勲を物語る切込み傷が一か所あり本刀の武勲が偲ばれます。刃紋は互の目乱れ刃に矢筈乱れ刃を交え大変変化や覇気の有る明るい刃を見事に焼き上げています。今回生で出ましたので格安にてご提供いたします。兼辻の刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝肥前国忠吉(八代)(希望) |
江戸 末期 |
69.2 | 1.2 | 0.69 | 長さ2尺2寸8分 本刀は鞘書によりますと八代忠吉と極めれれた刀です。代表的八代忠吉は忠吉家の卓尾を華々しく飾る名工です。橋本新左衛門忠吉は鍋島藩で大変重要視された刀工で鍋島藩近代化に重要な役目を果し大砲の製造軍艦の製造にも深くかかわり往々にして藩主の御前にて刀剣の鍛錬を披露する事もあり、藩主の信頼深い名工です。あまりの上手さに初代三代忠吉に混同される名刀が多く本刀も小糠肌に中直刃素晴らしく明るく良く焼き名作となっております。鞘書の極めに納得ですがあくまでも希望です。今回生で出てきたために格安でご提供いたします。是非お楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
刀 | 兼定(金粉銘)(会津三代) |
江戸 初期 |
70 | 1.2 | 0.68 | 長さ2尺3寸1分半 名刀美濃関の最上大業物で有名な和泉守兼定(之定)から数えて六代目位でしょうか、新刀兼定は慶長年間に会津藩主蒲生氏郷に抱えられ会津に移住しました。古来有名な兼定が幕末まで十一代続きます。本刀はやや反りの浅い姿で、地金は板目肌良く詰み、刃紋は互の目乱れ刃ちじに乱れ、業物の名声を上げています。新撰組副長土方歳三の愛刀は十一代会津和泉守兼定の刀で現在も東京八王子の土方歳三家に大切に保管されています幕末会津藩主松平容保が京都守護を仰せつかったために会津藩工兼定の刀は会津藩お預かりの新撰組に褒美として授けられたものと思われます。本刀はその元となる会津三代目兼定です。今回生で世に初めて出たために少々錆等有ますがそれも時代の御愛嬌です。貴重な金粉銘兼定の刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 現代 | 71.4 | 2 | 0.79 | 長さ2尺3寸6分 本国土佐南海太郎朝尊の孫、宮本包則や月山貞一に師事した、森岡正吉の作であろうと思われる刀です。本刀は姿は切っ先の延びた元身幅と先身幅の差の無い、南北朝の太刀のすりあげた姿で、地金は小板目肌を良く鍛え刃肉をこんもりと蛤刃に作り、力強い地金を鍛えています、刃紋は古調に匂い出来の互の目乱れ刃素晴らしく古調に焼き上げています。重量感充分にあり如何にも刀という刀です。拵えは現代の拵えですが、一層本刀に華を添えています。豪快な刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | ||
刀 | 祐定(二字銘) |
室町 末期 |
65.5 | 1.8 | 0.64 | 長さ2尺1寸6分5厘 本刀は永禄頃、約453年前織田信長が京に入った時分に作られた、名工備前長船祐定の典型作です。身幅頃合いで重ね尋常で、姿は中切っ先で腰反りに先反りの付いた姿に、地金板目肌良く詰み、所々に乱れ映りを現し、刃紋は直刃に互の目を交じえ棟焼きも見られ、非常に覇気の有る刃を焼いています。この様な祐定の刀は大変良く斬れた刀で古来有名でした。本刀も名の有る武将の持ち物で有ったと想像されます。戦国時代の花の有る二字銘の備前長船祐定の名刀をお楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 白鞘 |
売約御礼 | |
短刀 | 伝三条吉則(良業物) |
室町 初期 |
28.8 | 0 | 0.63 | 長さ9寸5分 初代三条吉則は応永頃(1400年頃)(615年前)の京山城の刀工です。本短刀は寸法の長い時代の上がった美しい姿を現し、棟は真の棟の三つ棟となり、地金は板目肌に杢目が交じり地沸が付き、刃紋は互の目乱れ刃匂い深く覇気有る刃をしかも上品に焼き上げて見事です、帽子は乱れ込んで、先を突き上げてこれも見事です、彫は表に梵字、裏に草の剣巻龍を彫り見事な彫を彫り上手です。誠に大変魅力ある短刀となっています。本短刀も現存作少ない三条吉則の大変貴重な時代の古い短刀です、今回特別に格安にてご提供です。 |
保 | ◎ | 白鞘 |
売約御礼 | |
短刀 | 備州長船祐定 天正十一年八月日 | 室町 末期 |
21.6 | 0 | 0.75 | 備前国長船祐定は名刀の代名詞として余りにも有名です。本短刀は天正11年(1583年)豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いがあった年に作られました。本短刀は姿は鋭い姿を現した、所謂鎧通しの姿で地金は板目肌を強く鍛え鍛え肌を現し、備前独特の潤いのある地金でところどころ淡く映りが立ち、刃紋は互の目丁子刃に立の働きを現し、刃中に千変万化の変化を表し、素晴らしく覇気ある刃を焼き上げています。拵えは江戸時代の肥後金具の付いた本格な合口拵えが本短刀に一段と華を添えています。有名な備前国住長船祐定の名刀をおたのしみください。 | 店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 播磨大掾藤原忠国(初代)(業物) |
江戸 初期 |
47.2 | 0.8 | 0.7 | 長さ1尺5寸5分 初代忠国は肥前国忠吉の異母弟の橋本相右衛門広貞(吉家)の次男です。いわゆる忠国は肥前国忠吉の甥にあたります。寛永十一年播磨大掾を受領して忠国と改めます。本脇差は忠国の最高傑作品です。地金小板目肌素晴らしく良く詰み地沸が素晴しく良く付いて、刃紋は得意の大互の目に砂流しが現われ素晴しく覇気のある刃を匂深く良く焼いています。肥前刀は忠吉一家はじめ全ての刀工の技量素晴らしく高く。肥前国忠吉が頭領鍛冶として有名ですが本脇差のように腕の良い側近鍛冶が居て初めて、肥前刀の声価を世に一段と上げています。お楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
短刀 | 源国行 |
江戸 中期 |
19.6 | 0 | 0.56 | 長さ6寸4分6厘 源国行は江戸時代寛保頃(1742年)(273年前)日向国(宮崎県)飫肥に住んでいました。本名日高治助。本短刀は飫肥藩の高級武士の懐刀の特別注文品です。短刀の姿は平造の反りの無い上品な短刀姿を現し、地金は小杢目肌良く詰み明るく冴えています。刃紋は沸の細かい直刃調のたれ刃、地の方に奉書紙を割いたような働きを見せ大いに見所があり上手です。拵えは鞘を梨地塗り鞘に紅葉の蒔絵を上品に施し、鍔は水牛の角で作り、縁頭は細かな赤銅魚々子地に御目出度い松と鶴を彫り上げ、小振り作るのがさぞ難しかろうと感心する当時の短刀拵えが、本短刀に一段と華を添えています。貴重な数の少ない日向飫肥に住んだ源国行の名短刀をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ◎ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 戦車隊用軍陣刀(無銘現代) |
現代 | 54.4 | 0.8 | 0.76 | 長さ1尺8寸 本刀は今次世界大戦の為に作られた武勲の軍陣刀です。昭和20年まで日本には誉れ高い武士が居たことの証です。軍人は武士の覚悟の証として刀を近代的に軍陣刀拵えにして戦地に出陣しました。このような歴史を持つのは日本だけで。鎌倉から続く武家の誇りの証です。日本軍が強かったのは武士の誇りを持っていたからなのです。本刀は御持ち主様のお父様が戦車隊で戦車に持ち込めるようにわざわざ脇差を作らせ、寸法の短い軍陣刀を誂えて作らせたとの事です。地金が良く詰み、刃紋は中直刃を沸深く焼いています。日本を命懸けで守った大変貴重な戦車隊の軍陣刀を是非大切にして下さい。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝現代刀(拵え付) |
現代 | 67.2 | 0.9 | 0.68 | 長さ2尺2寸1分 重量鞘を払って860gr 本刀は無銘の為に刀匠名は判りませんが、大正、昭和の時代の刀です。地金は無地金の様に鍛え一部曲りを直した様な跡がありますがそれも御愛嬌です、その他は鏡の様に綺麗な刃表を現しています。刃紋はのたれ刃を明るく焼き上げてこの時代の特徴的な、ふっくらとした匂を刃表に現しています。刀身には棒樋を入れて居合にも適した刀となっています、拵えも現代の拵えが付いており超特価品の刀としてお楽しみいただければ、本刀も喜ぶものと思います。大正昭和に造られた刀を是非お楽しみ下さいませ。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
刀 | 伝現代刀(孫六兼元写) |
現代 | 63 | 1.8 | 0.69 | 長さ2尺8分 本刀は無銘の為に刀匠名は判りませんが、大正、昭和の時代の刀です。地金は無地金の様に鍛え、鏡の様な綺麗な刃表を現しています。刃紋は関孫六兼元写しの三本杉を明るく見事に焼き上げてこの時代の特徴的な、ふっくらとした匂を刃表に現しています。生で今回初めて世に出たために、少々錆も有りますが、格安にてご提供です。お楽しみいただければ、本刀も喜ぶものと思います。大正昭和に造られた刀をお楽しみ下さいませ。 | 店 | △ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 伝関兼貞 |
39.7 | 0.6 | 0.69 | 長さ1尺3寸1分 本脇差は今回生で出たために何十年と手入れがされていなかった為に、刀身が錆で覆われて地金や刃紋は良く判りません。中心の鑢が鷹の羽に切られているところから、関の脇差と思われます。是非研ぎ上げてやって下さいませ。但し拵えが素晴らしく、鞘は堅木造の半太刀拵えの鞘で、柄は有名な貴重な鯨の髭を柄糸に巻、小柄はトンボの図(鉄地)割笄は1本は欠ですが、幕末の豪華な貴重な拵えが本脇差を一層華やかに飾っています。今回格安でご提供です。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | ||
脇差 | 伝後代孫六兼元 |
室町 末期 |
56.7 | 1.4 | 0.74 | 長さ1尺8寸7分 本脇差は天正1573年頃(442年前)の関の孫六兼元の後代の脇差です。地金は板目肌良く詰み柾目肌交え、所々時代の痛みも有りますが又それも時代の御愛嬌です。刃紋は孫六兼元の家伝の三本杉を砂流しを交え上手に焼いています。表裏に棒樋を上手に掻き上品です。本脇差は戦国時代天正時代には大変珍重され、素晴らしい物切れする脇差となっています。風雲急を告げる戦国時代を生き抜いてきた脇差に現代も称賛の声高く後世に是非伝えていかなければなりません。拵えも南蛮鍔が付いた簡素な拵えですが本脇差に一層華を添えています。今回世の中に初めて生で出たために格安にてご提供いたします。是非お楽しみ下さい。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 伯州住廣賀作 |
室町 末期 |
45 | 1.4 | 0.58 | 長さ1尺4寸8分 本脇差は古刀と言われる室町時代天文頃(1534年)(480年前)鉄砲伝来の前9年前位の作です。本廣賀は初代相州綱廣の門人と言われ、本脇差は反りが深く時代が古く見える姿をし。地金は板目に杢が交じって良く詰み、刃紋は匂出来ののたれ刃を焼き、やや匂いの沈んだこの様な刃は古来如何にも良く物斬れする刃と言われています。今回初めて世に出たために格安にてご提供ですお楽しみください。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 伝越前下坂 |
江戸 初期 |
53.3 | 1.4 | 0.66 | 長さ1尺7寸6分 本脇差は定寸の典型的な脇差姿で、地金はやや黒味を持った北国地金です。小板目肌に柾肌を交え越前刀独特の地金である黒っぽい粘りある地金を鍛えています。刃紋は素晴らしく良く斬れる刃であるのたれ乱れ刃に互の目や尖り互の目を交え。この様な刃は昔から実用的に非常に良く斬れると言われております。拵えは江戸の拵えで上品で素晴らしく良く出来ています。江戸初期の越前下坂、虎鉄の時代の脇差をお楽しみ下さいませ。今回前の御持ち主様の特別の御好意で格安にてご提供いたします。お楽しみ下さいませ 。 |
店 | ○ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 忠吉(額銘)(八代) |
江戸 末期 |
43.8 | 0.8 | 0.54 | 長さ1尺4寸2分5厘 有名な幻の肥前国忠吉八代目です。八代忠吉は忠吉家の卓尾を華々しく飾る名工です。八代橋本新左衛門忠吉は鍋島藩で大変重要視された刀工で、鍋島藩近代化に重要な役目を果し大砲の製造軍艦の製造にも深くかかわり、往々にして藩主の御前にて刀剣の鍛錬を披露する事もあり、藩主の信頼深い名工です。あまりの上手さに初代や三代忠吉に混同される名刀が多く本脇差も姿は豪壮で、地金は小糠肌に鍛え力強い地金を現し、刃紋は家伝の中直刃を素晴らしく明るく良く焼き上げています。今回世の中に初めて出たために刃こぼれ等有ますがそれも御愛嬌です。格安にてご提供いたします。嘉永頃の作で(160年前)名工肥前国忠吉八代をお楽しみ下さい。 |
店 | △ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 祐定 |
室町 末期 |
50.6 | 1.2 | 0.68 | 長さ1尺6寸7分 本脇差は二字銘の祐定です。永禄頃(1558年)(約457年前)織田信長が京に入った時分に作られた、備前国長船祐定の脇差です。姿は腰反りで踏ん張りが有り、身幅頃合いで鎬高く、重ねはやや厚く上品な姿です。地金は板目肌良く詰み乱れ映りが見事に立ち、一部時代の景色が有りますが、許されます。刃紋は互の目乱れ刃に地に煙り込むような刃を焼き大変好もしい刃を焼いて見事です。この様な祐定の刀は大変良く斬れた刀で古来有名でした。初めて世に出たために格安にて御提供です。有名な備前長船祐定の名脇差をお楽しみ下さいませ。 |
店 | ○ | 白鞘 | 売約御礼 | |
脇差 | 不明(錆身)(添仕込み杖拵) |
不明 | 54.8 | 1.9 | 0.62 | 長さ1尺8寸 本脇差は60年以上もの間、世に出ていなかった為に、残念ながら錆の為に地肌等不明です。明治時代初期に明治時代の重要人物を守る為の仕込み杖に入れるために、すりあげられているところを見ますと、なかなかの脇差であったと思われます。刃紋は匂いの深い直刃で中々出来は良さそうです。仕込み杖は廃刀令後明治政府の重要人物が暗殺される、第一撃を自ら守る為に考え出された護身用の貴重な時代の資料です。後世に大切に保存愛護したいものです。お楽しみ下さいませ。 |
店 | △ | 拵え | 売約御礼 | |
脇差 | 家次(加州) |
室町 末期 |
39.6 | 0.7 | 0.62 | 長さ1尺3寸 (刀身と鞘のみです) 藤島派の刀工で加賀青江の名が付けられています。本脇差は弘治頃(1555年)の家次で、丁度上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った時、毛利元就が厳島の戦いで勝利して中国地方の太守の足がかりを築いた丁度その頃の脇差です。本脇差は姿は菖蒲造で特に、鎬地を削って薄くして刃が抜けるのに都合が良いような利刀造を現し、地金は板目肌に柾肌が現れ力強い地金を鍛え。刃紋は直刃に互の目を交え、打ちの気や二重刃を交え、ちじに乱れ、素晴らしく覇気ある刃を焼き見事です。今回生で出たために、鞘だけで柄は有りませんが、格安にてご提供です。業物の名脇差をお楽しみくださいませ。 |
店 | ○ | 鞘 のみ |
売約御礼 |
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